第九章

手紙 ミナ・ハーカーからルーシー・ウェステンラ宛 

八月二十四日 ブダペストにて 

親愛なるルーシーへ

ウィトビーの駅で別れてから私に起こったことを聞きたくなったでしょう。ハルに無事つき、ハンブルク行きの船に乗り列車でここまで来たの。旅のことはほとんど思い出せないけれど、ジョナサンの元へ向かうことと、看護をするのでできる限り睡眠をとったほうがいいとだけ考えたわ。私の愛する人は、とても痩せていて、青白く、弱々しい姿をしてた。彼の愛おしい目からはあらゆる意志が消え去って、あなたに話した、彼の顔にあったあの静かな威厳も消え失せてたの。彼は自分を見失って、過去に起こったことを何も覚えていないのよ。少なくとも、彼は私にそう信じさせたいのでしょうから、私から彼に尋ねることはないでしょうね。彼は何かひどい衝撃を受けたようで、それを思い出そうとすると、彼のかわいそうな脳に負担がかかるのではないかと心配だから。シスター・アガサは良い人で、生まれながらの世話人なんだけど、頭がおかしくなっている間の彼が恐ろしいことをわめき散らしていたと教えてくれた。私は彼女にそれが何かを教えて欲しかったんだけれど、彼女はただ十字を切って、決して教えません、病人の戯言は神の秘密であり、もし世話人がその職業を通じてそれを聞くことがあったとしても信頼を尊重すべきです、と言うだけだった。彼女は優しくて良い人なので、翌日、私が困っているのを見ると、またその話を切り出して、私のかわいそうな人が何をわめいたのか、決して言えないのですがと但したあと、こう付け加えた。

「これだけは言えます。彼自身が悪いことをしたわけではないのですから、彼の妻であるあなたが心配する必要はないのです。彼はあなたやあなたへの恩義を忘れてはいません。彼が恐れていたのは、人間には手の付けられない、とても恐ろしいものだったのです」

ジョナサンが他の女の子に恋をしたのだと思い込んだ私が嫉妬しているように見えたのでしょう。ジョナサンに嫉妬するなんて! でもね、私の愛する人、これは言わせてちょうだい。他の女性が問題の原因でないと知ったとき、自らのうちにかすかな喜びを感じたの。私は今、彼の枕元に座っていて、眠っている彼の顔が見えるわ。彼が起きようとしてる! 

彼が目覚めたとき、ポケットから何か取り出したいのでコートをくれと言ったので、私はシスター・アガサにそれを頼んで、シスター・アガサは彼の所持品を全部持ってきてくださった。その中に彼の日記があったので、それを見せてもらおうと思ったの。彼の悩みを解決する手がかりが見つかるやもと思ったから──しかし、私の目にその願いを見たのでしょう、彼は私を窓際に追いやって、しばらく一人になりたいと言いだした。それから彼は私を呼び戻して、私が来ると日記に手をやり、とても厳粛に言ったの──。

「ウィルヘルミナ」

──その時、彼がひどく真剣だとわかった。彼が私に結婚を申し込んで以来、その名で私を呼んだことがないから。

「僕の考える、夫婦の信頼関係を知っているだろう。秘密や隠し事はあってはならない。僕は大きな衝撃を受け、それが何であるかを考えようとすると、頭が渦を巻くようで、それがすべて現実なのか狂人の夢想なのかわからなくなるんだ。僕が脳熱にかかったことは知っているだろうが、あれは狂気の沙汰だ。秘密は日記にあるが、それを知りたくはないんだ。僕はこの地で君と結婚して人生を歩みたい」

ルーシー、私たちは手続きが終わり次第、結婚することに決めていたの。

「ウィルヘルミナ、僕と無知を分かち合ってくれる気はあるかな。ここに日記がある。君が持っていてくれ。読んでもかまわないが、決して僕に知らせないでくれ。ここに記録されているような、眠っているか起きているか、正気か狂気かわからないような苦しい時間に立ち返るべき厳粛な責務が、僕に課せられていれば別だが」

彼が疲れ果てて横たわったので、私は日記を彼の枕元に置いてキスをしたの。今は、シスター・アガサに頼んで、今日の午後に結婚式ができるように修道院長にお願いしてもらって、その返事を待っているところ。

彼女が来て、英国宣教教会【訳注:English mission church】の司祭が呼ばれたことを教えてくれた。私たちは一時間後、あるいはジョナサンが目覚め次第、結婚式を挙げることになってる。

ルーシー、その時が来て、去って行ったわ。とても厳粛なのに、とてもとても幸せな気分。ジョナサンが時間を少し過ぎて目を覚ましたときには、すべての準備が整っていたの。彼は枕に支えられながらベッドで体を起こした。

「はい、愛します」

彼はそうしっかりと強く答えたわ。私は胸がいっぱいになって、短い言葉でも窒息しそうだったので、ほとんど話すことができなかった。親愛なるシスターたちはとても親切だった。ああ神様、彼女たちのことを、そして私が引き受けた重大で甘美な責任のことを、決して、決して忘れません。私の結婚祝いのことをお話ししなくちゃね。牧師とシスターが私の夫と私を二人きりにさせてくれたとき──ああ、ルーシー、《私の夫》という言葉を書くのは初めてだわ──ともかく夫と二人きりになったとき、私は彼の枕の下から本を取り出して、白い紙に包んで、首に巻いていた薄い青色のリボンで少し結んで、結び目に封蝋をしたの。封蝋には私の結婚指輪を使った。そして、私はそれにキスをして、夫に見せた。そして、こう伝えたの。私は包みをそのままにしておくわ。そうすれば、私たちがお互いに信頼しあっていることを私たちの生涯にわたり目で確認できるしるしとなるでしょうから。それが彼自身のためか、深刻な責務のためでない限り、決して開きません、って。そして彼は私の手を取り、ああルーシー、彼が初めて《彼の妻》の手を取り、この贈り物は広い世界で最も愛おしいもので、必要であれば、それを得るためにもう一度すべての過去を経験するだろうと言った。このかわいそうな人は、過去の一部を、と言ったつもりだったけれど、まだ時間のことに頭が回らないようなの。今後、月だけでなく年までごっちゃにすることがあっても、不思議はないわね。

さて、私に何て返事できたかしら? 私はただ、私は世界一幸せな女であり、私自身、私の人生、私の信頼、そして私の人生の日数ぶんの私の愛と責務以外に渡せるものはないと言ったの。彼が私にキスをして、弱々しい手で私を引き寄せたときに、私たちの間に厳粛な誓約が交わされたように思えたわ。

ルーシー、なんでこんな話をするか分かる? 私にとって嬉しいことだからというだけでなく、あなたが私にとってとても大切な存在だからよ。あなたが学校から社会に出る準備をはじめたときに、私には、あなたの友人かつ導き手としての特権があった。私は今、あなたの幸せな妻の目で、責務が私をどのような幸福に導いたか見て欲しいの。そうすればあなたも結婚生活において、私のように幸せでいられるだろうから。全能の神よ、愛するあなたの人生が約束されたものでありますように。厳しい風もなく、責務を忘れることも、不信もない、長い晴れの日でありますように。あり得ないことなので、あなたが苦しまないようにとは願ってはいないけれど。代わりに、あなたが今の私のようにいつも幸せなことを願うわ。さようなら、愛しい人。すぐにこれを投函して、もしかしたらすぐにあなたに再び手紙を書くかも。ジョナサンが目覚めたのでここで失礼するわ──夫に付き添わないと!

あなたの愛する ミナ・ハーカー

手紙 ルーシー・ウェステンラからミナ・ハーカー宛 

八月三十日 ウィトビーにて 

親愛なるミナ

大海原のような愛と何百万回のキスを送るわ。それと、あなたがすぐに夫と一緒に自分の家に帰れますように。あなたがすぐに帰ってきて、ここで私たちと一緒に過ごすことができれば良いのに。ここの強い空気は、すぐにジョナサンを回復させるでしょうね。私はかなり回復したわ。鵜のように食欲があるし、元気で、よく眠れてる。ほとんど夢遊病も無くなったと知れば、あなたも喜ぶかしら。この一週間は一度も寝床から起き上がったことがないの──もちろん、夜に寝た後のことを言ってるのよ。アーサーによると、私は太ってきているそう。そういえば、アーサーが来ていることを伝えるのを忘れてた。私たちは一緒に散歩や、馬車乗り、乗馬、ボート漕ぎ、テニス、釣りなどをしてるの。以前にも増して彼を愛してる。彼は私をもっと愛していると言うけれど、それは疑わしいわ。なぜなら、彼は最初に、私を今以上に愛することはできないと言ったからよ。よしなしごとね。あら、彼が呼んでるわ。今回はここまでね。

あなたの愛するルーシー

追伸:母がよろしくと伝えてるわ。母が元気になってきていて、よかった。

追伸:私たちは九月二十八日に結婚することになったのよ。

スワード博士の日記

八月二十日

レンフィールドの症例は、さらに興味深いものとなっている。彼の劇場には休止期間があるようで、今は静まっている。あの攻撃から一週間は暴力が絶えなかった。しかしある夜、月が昇る頃に彼は静かになり、自分に言い聞かせるようにつぶやいたのだ。

「今なら待てる、今なら待てる」

世話人が僕に報告したので、僕はすぐに駆けつけ、彼の様子を見に行った。彼はまだ拘束衣を着たまま、緩衝材入りの部屋にいたが、顔から張り詰めたような表情が消え、その目は以前のような懇願するような──ほぼ《すがるような》と言えるかもしれない──穏やかさを持っていた。僕は彼の現状に満足し、解放するよう指示した。世話人達は躊躇したが、最終的には抗議せず僕の願いを実行に移した。不思議なことに、この患者には彼らの不信感を見抜くだけのユーモアがあった。というのも、彼は僕の近くに来て囁くようにこう言ったのだが、その間ずっと彼らの方をそわそわと見ていたのだ。

「私があなたを傷つけるとでも思っているのでしょうか! 愚か者め!」

この哀れな狂人の心の中のことではあっても、僕が他の人たちとは別に見られているというのは、なぜか気持ちが落ち着いた。それでも僕は彼の考えが理解できない。僕は彼とどこか共通点があって、互いに拠り所となっているのだろうか。それとも、僕の健康状態に依存するような途方もない利益を、彼は僕から得ようとしているのだろうか。後でそれを確認せねばならない。今夜、彼は何も話さない。子猫や成長した猫の話にさえも、誘惑されない。彼はただこう言うだけだ。

「猫など眼中にありません。他に考えることがあるのです。私は待てる。私は待てる」

しばらくして、僕は彼のもとを去った。世話人によると、彼は夜明け前まで静かで、それから不安定になりはじめ、やがて暴れ出し、ついには発作に陥り、疲れ果てて昏睡状態に陥ったそうだ。

三晩同じことが起こった──一日中暴力的でありながら、月の出から日の出までは静かなのだ。原因について何か手がかりがあればいいのだが。それはまるで、行ったり来たりする何らかの影響があるように思える。いい考えが浮かんだ! 今夜こそは正気と狂気の戦いだ。以前は我々の助けなしに逃げられたが、今夜は我々の助けによって逃げることになるのだ。我々は彼に機会を与え、そして必要な時に備えて、部下を待機させておくのだ。

八月二十三日

《予期し得ぬことは常に起こる》ディズレーリは人生をよく理解している。我が家の鳥は、カゴが開いていることに気づいても飛ぼうとはせず、せっかくの計らいも無駄になってしまった。いずれにせよ、静かな期間はそれなりに続くと証明された。将来的には、毎日二、三時間、彼の拘束を緩和できるようになるだろう。彼が静かになったあと、日の出の一時間前までは、緩衝材入りの部屋に閉じ込めておくだけでいいと、夜間の世話人に命じた。彼の心が休息を理解できない場合でも、彼の体は休息を楽しめるだろう。なんてことだ! また予期せぬことが起こった! 患者がまたもや逃げ出したと、僕を呼んでいる。

その後。

はたまた夜の冒険。レンフィールドは、世話人が点検のために部屋に入ってくるのを巧みに待ったらしい。そして、その横を通り抜け、通路に飛び出したのだ。僕は世話人達に後を追うように言いつけた。彼は再び荒れ果てた家の敷地に入り、同じ場所で古い礼拝堂の扉に張り付いているのを発見した。彼は僕を見て激怒した。もし世話人達が間一髪で彼を捕まえなければ、僕を殺そうとしたことだろう。拘束している間、不思議なことが起こった。彼は突然、力を倍増させたかと思うと、突然冷静になったのだ。僕は直感的に周囲を見回したが、何も見えなかった。患者の視線を追うと、ただ月明かりに照らされた空があるだけで、ただ大きなコウモリが静かに、そして幽霊のように西へ向かって羽ばたいていった。コウモリはふつう旋回して飛び回るが、このコウモリはまっすぐ進んでいるようだ。まるで行き先を知っているか、何か目的を持っているかのようだった。患者は次第に落ち着きを取り戻し、やがてこう言った。

「縛る必要はありません。静かにしますから!」

僕たちは何事もなく家に戻った。彼の冷静さに何か不吉なものを感じ、この夜のことを忘れられない。

ルーシー・ウェステンラの日記

八月二十四日 ヒリンガムにて 

ミナの真似をして、どんどん書いていかないと。そうすれば、会ったときにゆっくり話ができるわ。いつになることやら。とても不幸な気持ちだから、彼女がまた一緒にいてくれたらいいのに。昨夜は、ウィトビーにいたときと同じように、また夢を見たみたい。空気が変わったせいか、それとも家に帰ったせいかな。夢について何も覚えていないから、ぜんぶが暗く恐ろしい。漠然とした恐怖でいっぱいで、とても弱って草臥れてる感じ。昼食に来たアーサーは、私を見てとても悲しげな顔をしていたけど、明るく振舞う気にもなれなかった。今夜はお母様の部屋で寝られるかしら。許してもらえるか、言い訳してみよう。

八月二十五日、ヒリンガムにて

また嫌な夜。お母様は私の提案を受け入れてくださらなかった。お母様自身もあまり体調が良くないようで、私を心配させるのが嫌なのね。起きたままでいようとして、しばらくは起きていられたんだけど、十二時をつげる時計が私をまどろみから起こしたので、つまり眠りに落ちてしまったんだわ。窓を引っ掻くとか、はたくとかいう音がしたけれど、気にしなかった。それ以上のことは覚えていないので、その後は眠ったのね。また悪夢。内容を覚えていられればいいんだけど。今朝は恐ろしく体がだるい。顔は青白く、喉は痛い。肺の調子が悪いのか、空気が充分に吸えない。でも、こんな私を見たら、アーサーはきっと悲しむだろうから、彼が来たら元気にしていないと。

手紙 アーサー・ホルムウッドからスワード博士宛 

八月三十一日 アルベマール・ホテルにて

親愛なるジャックへ

依頼ごとがある。ルーシーの体が悪いんだ。つまり、特別病気に罹っているわけではないのだが、やつれていて、日に日に悪くなっている。彼女には何か原因がないかと尋ねたが、あえて彼女の母親には尋ねていない。今の健康状態にある娘のことで、かわいそうな夫人の心を乱すことは、夫人の命取りになるからだ。ウェステンラ夫人は私に、心臓の病気で死の予告をされたと打ち明けてくれたが、かわいそうにルーシーはまだそれを知らない。愛する彼女の心には、必ずや何か思い悩んでいることがあるはずだ。彼女のことを考えると気が散るし、彼女を見ると胸が痛くなる。君に診察を頼むと彼女に言ったら最初は渋っていたが(その理由はわかっている)、最終的には承諾してくれた。君には辛い仕事だろうが、私は彼女のためなら躊躇なく頼むし、君は躊躇いなく行動すべきだ。明日二時にヒリンガムに昼食を取りに来てくれ。ウェステンラ夫人に疑われないための策だ。食後にルーシーと二人きりになる機会を作る。私もお茶を飲みに行くから、一緒に帰ろう。不安でいっぱいだから、君が彼女に会った後、できるだけ早く君だけに相談したいんだ。しくじるなよ! 

アーサー

電報 アーサー・ホルムウッドからスワード宛

九月一日

チチ ヨウダイアッカ ヨビダサレタ。キミニ テガミ カイテイル。キョウ スベテ カキ リング ニ オクレ。ヒツヨウアラバ デンポウ ウテ。

手紙 スワード博士からアーサー・ホルムウッド宛

九月二日

親愛なる友よ

ウェステンラ嬢の健康状態について、僕の意見では僕の知る機能障害や病気は見受けられなかったことを、急ぎ一報する。しかし同時に、彼女の容貌には欠けたものを感じる。最後に会ったときとは全く違う。もちろん、僕が望むような検査を充分に行えなかったことは心に留めておいていただきたい。僕たちの友情が、医療科学や医者の習慣でさえ埋められない小さな困難を生み出しているのだ。何が起こったかを正確に書くから、ある程度は君自身が結論を出すことにした方が良いだろう。以上を踏まえた上で、僕が何をしてきたか、何を提案したいかを述べたい。

僕が会ったとき、ウェステンラ嬢は一見元気そうだった。彼女の母親も同席していた。彼女は母親を心配させないためにあらゆる手を尽くして母親を惑わせているのだと、数秒のうちに思い至った。彼女は、母親の病状について知らないのだとしても、どう注意すべきか察しているに違いない。僕たちは三人だけで昼食をとった。全員で明るく振舞おうと努力した結果、ある種の報いとして、僕たちの間に本当の明るさが生まれた。その後、ウェステンラ夫人は横になりに行き、ルーシーは僕と一緒に残された。僕たちがルーシーの寝室に入るまで、彼女の陽気さは保たれていた、使用人が出入りしていたからだ。しかし扉を閉めた途端、彼女の顔から仮面が剥がれ落ちた。彼女は大きなため息をついて椅子に座り、手で目元を隠してしまった。僕は、彼女の陽気さが失われたのを見て、すぐにその反応に乗じて診断をしようとした。彼女はとても可愛らしく言った。

「私が自分のことを話すのがどんなに嫌か、言葉にできないわ」

僕は、医師の信頼性は神聖なものであることと、君が彼女のことをひどく心配していることを彼女に思い出させた。彼女はすぐに僕の言いたいことを理解し、一言でその問題を解決した。

「アーサーには何でも話してちょうだい。私のことはどうでも良いのだけれど、彼のためよ!」

こうして僕は君に伝える自由を得たのだ。

彼女にやや血の気がないことはすぐにわかったが、通常の貧血の兆候は見られなかった。偶然にも、彼女の血液の質を実際に検査できた。硬くなった窓を開ける際に窓紐が外れ、彼女は割れたガラスで手を少し切ったのだ。傷自体は瑣末であったが、この傷が明らかな機会を与えてくれたので、数滴の血液を確保して分析した。定性分析では、ごく正常な状態であり、健康状態は良好だと推察された。他の身体的なことについては、心配する必要はないと思った。しかし、どこかに原因があるはずなので、精神的なものに違いないという結論に達した。呼吸がうまくできないときがあり、睡眠は重く気だるく、怖い夢を見るが何も覚えていない、と彼女は訴えていた。彼女は子供の頃よく寝ながら歩いたのだと言う。ウィトビーにいるときその癖が再発し、夜中に歩いて東崖に行き、そこでマーレーさんに発見されたこともあるのだそうだ。しかし彼女は、最近はこの癖が再発してないと断言している。僕は確信が持てず、僕が知っている最善のことをした。古い友人であり師であるアムステルダムのヴァン・ヘルシング教授に手紙を書いたのだ。彼は世界中の誰よりも得体の知れない病気について知っている人物だ。彼に来てくれるように頼んだ。そして、君がすべてのことを僕に任せると言ったので、ヴァン・ヘルシングに君が誰であるか、そしてウェステンラ嬢と君の関係を話した。この行動は親愛なる君の意向に沿ったまでだ。それに、僕は彼女のために出来る限りの行動ができたことを光栄かつ嬉しく思っている。僕の知る限り、個人的な理由で、ヴァン・ヘルシングは僕のために何でもしてくださる。だからこそ、彼がどのような理由で来たとしても、彼の行いたいことを受け入れなければいけない。彼は一見、独断専行のように見えるが、それは彼が自分の言っていることを誰よりもよく知っているからだ。彼は哲学者であり、形而上学者であり、当代きっての最先端の科学者の一人だ。僕は、彼が完全に先入観から解き放たれた心を持っていると信じている。加えて、鉄の神経、極寒の川の気質、不屈の決意、自制心、単なる美徳から祝福へ発展したといえる寛容さを持ち、そして最も親切で誠実な心臓を鼓動させている。これらが、彼が人類のために行っている崇高な仕事における装具だ。彼の見解は、彼の全面的な思いやりと同様に広いから、理論においても実践においても役に立つ。僕が彼にこれほどの信頼を寄せている理由を知ってもらおうと、これらの事実を書いた。彼にすぐに来てくれるよう頼んだ。明日もウェステンラ嬢に会う。再訪があまり早いと母親を心配させるから、ハロッズ【訳注:Stores】で会うことになった。

敬具

ジョン・スワード【訳注:スワード博士の正式名。ジャックはジョンの愛称】

手紙 エイブラハム・ヴァン・ヘルシング医学博士、哲学博士、文学博士等等……よりスワード博士宛

九月二日

良き友よ

君の手紙を受け取ったとき、私はすでに君のもとへ向かっていたと言えよう。幸運にも、私を信頼してくれている他の人々に悪い影響を与えることなく、すぐに出発できる。もしも幸運でなかったら、信頼してくれた他の人々に迷惑をかけることになっていた。友人が大切な人々を助けるために私を呼んだときには、その友人のもとに優先して向かうためだ。君のご友人に次のことを伝えてくれ。かつて、我々の学友があまりに緊張して、手を滑らしてしまったとき、君は私の傷口から素早く壊疽の毒を吸い取った。彼が私の助けを求めていたときに、君は彼より多くのことを成した。彼のどんな大きな財産もなしえないほどのことをしてくれたのだ。君の友人を助けるのは嬉しいがおまけに過ぎない。君のために向かうのだ。それから、私が近くに泊まれるように、グレートイースタンホテルに部屋を用意してくれ。そして、明日、あまり遅くならないうちにお嬢さんに会えるように手配してくれないか。その夜には、アムステルダムに戻らなければならないかもしれないから。しかし必要であれば、三日後に再び英国に向かい、もっと長く滞在することになるだろう。それではジョン君、しばしさようなら。

ヴァン・ヘルシング

手紙 スワード博士よりアーサー・ホルムウッド閣下宛 

九月三日

親愛なるアート

ヴァン・ヘルシングが来て、既に去った。彼は僕と一緒にヒリンガムまで向かったのだが、ルーシーの判断で母親が外食中であり、僕たちはルーシーと三人になった。ヴァン・ヘルシングは、患者を非常に注意深く診察した。彼は僕に報告することになっており、僕は君に助言することになる。もちろん僕はずっとその診察の場にいたわけではないからだ。彼はとても心配していたが、まず考えることが必要だと言っていた。僕たちの友情のこと、そしてこの件で君が僕を信頼していることを話すと、彼はこう言った。

「君が考えていることをすべて彼に話すべきだ。私がどう思っているのか、察しがつくのなら教えてあげなさい。いや、冗談ではない。これは冗談ではなく、生と死、もしかしたらそれ以上の問題かもしれない」

彼がとても真剣だったので、どういう意味なのか尋ねた。この話をしたのは、僕たちが町に戻ってきたときのことで、彼はアムステルダムへの帰途につく前にお茶を飲んでいるところだった。彼はそれ以上の手がかりをくれなかった。アート、怒らないでくれよ。彼が無口なのは、彼女のために彼の頭脳が働いている証拠だ。時がくればはっきり言うだろう。そこで僕は、『デイリー・テレグラフ』紙の詳細特集記事のようなルーシー訪問記を書くのみに止めますと言った。彼は僕の話に気づいていないようで、ロンドンの霧は、彼がここの学生だった頃ほどひどくはないと言うだけだった。もし、彼の都合がつけば、明日にでも報告書をもらうつもりだ。いずれにせよ、僕は彼から手紙をもらうことになっている。

さて、訪問の件に戻ろう。ルーシーは最初に訪問した時よりも元気で、明らかに良くなっていた。君を動揺させた不気味な表情はなくなり、呼吸も普通になっていた。彼女は教授にとても優しく(いつも優しいが)彼を安心させようとしたが、可哀想な少女が懸命にそう見えるよう努力しているのが分かった。ヴァン・ヘルシングもそれを見とったのか、彼のふさふさした眉毛の下には、昔なじみの鋭い視線があった。それから彼は、僕たち自身や病気以外のあらゆることについて、再現なく陽気に話しはじめ、ルーシーの見せかけの生気が本物になるようだった。そして、いかにも自然に、彼は話題をさりげなく自分の訪問に持ってきて、丁寧にこう言った。

「親愛なる若いお嬢さん。あなたがとてもお綺麗で嬉しい。私に見えてないものがあるにせよ、綺麗だっていうのは大したことだ。あなたが精神的に落ち込んでいるとか、顔色が悪いとか言われておりましたが、そういう奴らにはこう言ってやろう。《くだらん!》」

彼は僕に向かって指を鳴らし、こう続けた。

「あなたと私で、彼らがいかに間違っているかを教えてやるとしよう。どうして彼に――」

と彼は僕を指差した。彼が僕に忘れさせてくれないある時に、もしくはその後に、クラス全員に向かって僕を指差したかつてと同じ表情と仕草だった。

「若い女性についてわかるというのだろう? 彼は狂人たちを操り、狂人たちを幸せにし、彼らを愛する人たちのもとに帰す仕事をしているんだ。大変な仕事だが、幸せを与えるという充分な報酬がある。しかし、若い女性たちについてはどうだろう! 彼には妻も娘もない。若い人は若い人に自分を語るのではなく、私のように多くの悲しみとその原因を知っている年寄りに語るべきだ。だから、愛しい人よ、彼を追い出して庭でタバコを吸わせ、その間にあなたと私だけで少し話をしよう」

僕はその言葉を受けて庭に出て歩き回っていたが、やがて教授が窓際にやってきて僕を呼び入れた。彼は深刻そうな顔をして、こう言った。

「注意深く調べてみたが、機能的な原因はない。君と同じく、多くの血液が失われていることに同意する。あったはずの血液が無いようだ。しかし、彼女の状態は決して貧血ではない。彼女に、彼女のメイドを呼びつけてくれるように頼んだ。何も聞き逃さないように一、二個ほど質問したいのだ。メイドが何を言うか既に見当がついている。どこかに原因があるのだ。すべてのことには必ず原因があるのだ。家に戻って考えなければならない。君は毎日私に電報を送ってくれ。そして必要があれば、私はまた来る。あの病気は──すべての体調不良は病気だ──興味深い。また、彼女もまた興味深い。彼女は私を魅了したようだ。君や病気のためでなくても、彼女のために私は来るだろうね」

すでに話した通り、二人きりになっても、彼はそれ以上しゃべらなかった。アート、君は今、僕が知っていることを全て知っている。今後も注意深く見守ることとする。君の可哀想なお父様も、これから元気になられることだろう。愛する二人がどちらもこのような状況で、君は大変だな。お父様への義務は知っているし、義務を守るのは当然だ。しかし、必要であれば、すぐにでもルーシーの元へ向かうよう連絡する。なので僕からの連絡がない限りは、過度に心配することはないよ。

スワード博士の日記

九月四日

ゾウオファガス狂の患者は、依然として我々の関心を引きつけている。昨日、彼はいつもと違う時間に、一度だけ発作を起こした。その正午の発作の前、彼は落ち着きを失いはじめた。世話人はその症状を知っていて、すぐに助けを求めた。幸いなことに、男たちが駆けつけて間に合った。正午になると彼は暴れだし、全員の力をもってしても押さえつけるのは精一杯だったからだ。しかし五分ほどすると、だんだん静かになり、ついには鬱状態になり、その状態が今に至っている。世話人によると、発作中の彼の叫び声は実に恐ろしいものだったそうだ。僕は病院に入ったとき、彼に怯えている他の患者を介抱することで手いっぱいになった。やや離れたところにいる僕でさえ、その叫び声に怯えたのだから、確かにその影響はよくわかる。精神病院の夕食時間を過ぎた今となっても、患者はまだ隅に座って考え込んでいて、その表情はさえず、不機嫌で、悲しげで、直接何かを示しているというより、むしろ暗示しているように見える。僕にはよくわからないが。

その後。

僕の患者にまた変化があった。五時になって様子を見に行くと、以前と同じように幸せそうで、満足しているようだった。蝿を捕まえては食べ、緩衝材の間に覗いている扉の縁に爪痕を付けて、捕まえた数を記録していた。僕を見ると彼は近づいてきて、自分の非行を詫び、とても謙虚に恐縮した様子で、自室に戻して、もう一度手帳を持たせてほしいと頼んだ。彼の意向に沿うのがよいと思ったので、彼は窓が開いた自室に戻っている。紅茶の砂糖を窓辺に広げて、ハエを大量に採っている。今回はハエを食べることなく以前と同様に箱に入れ、すでに部屋の隅々までもクモを探しはじめている。僕は彼にここ数日のことを話してもらおうとした。彼の考えを知る手がかりがあれば、僕にとっては計り知れない助けになるからだ。しかし、彼は乗り気ではない。一瞬か二度、彼はとても悲しげな表情をして、まるで遠くから聞こえるような声で、僕にというより自分に言っているような感じでこう言った。

「すべて終わった! すべて終わった! 彼は私を見捨てたのです。自分で行わない限り、今や希望はありません!」

そして突然、毅然とした態度で僕の方を向いて、こう言った。

「先生、もう少しお砂糖をいただけますか。体にいいと思うんです」

「ハエにとってもそうかな」と、僕は言いました。

「はい! ハエも砂糖が好きで、私はハエが好きです。だから私は砂糖が好きです」

狂人は議論しないと考える無知な人もこの世にはいる。僕は彼に二回分の食料を与え、世界の誰よりも幸せな男となった彼のもとを立ち去った。彼の心を理解できたらいいのだが。

真夜中。

彼にまた変化があった。だいぶんと体調が良くなったウェステンラ嬢に会いに行って、帰ってきて、自分の家の門の前で夕日を眺めていたら、また彼の叫び声が聞こえてきた。彼の部屋は家の門側にあるので、朝よりもよく聞こえた。ロンドンに沈む夕焼けの薄明るい光と暗い影が、汚れた水に映るように汚れた雲を照らし出し、景色に素晴らしいけぶるような美しさをもたらしていた。夕焼けから振り向き、僕が住んでいる、惨めな者たちが大勢息づく冷たい石造りの建物の不気味ないかめしさ、そしてそれに耐えている自身の荒れ果てた心に気づくのは衝撃的なことだった。日没に彼のところに行き、彼の窓から赤い円盤状の太陽が沈むのを見た。太陽が沈むにつれて彼はだんだん熱狂的でなくなった。ちょうど沈み終えた時に、彼を抱えていた僕の手から滑り落ち、不活性な肉塊となって床に倒れこんだ。しかし、狂人の知的回復力というのは素晴らしいもので、数分もしないうちに彼は全く平静に立ち上がり、周りを見回した。彼が何をするか気になったので、世話人達に彼を拘束しないように合図をした。彼はそのまま窓際に行き、砂糖のくずを払い落とした。それからハエの箱を取って中身を窓の外に捨ててから、箱を捨てた。それから窓を閉め、部屋を横切ってベッドに座った。このことに驚いて、僕は彼に尋ねた。

「もうハエを集めないのか」

「集めない。あんなゴミにはうんざりです!」

彼はそう言った。明らかに、彼は素晴らしく興味深い研究対象だ。彼の心の中、あるいは突然の熱狂の原因について、何か垣間見ることができればいいのだが。そうだ。今日の発作がなぜ正午と日没に起きたのかが分かれば、その先には手がかりがあるかもしれない。太陽には、その時々にある資質を持った人に影響を与える、悪い影響力というものがあるだろうか──ちょうど月が他の資質を持った人々に影響を及ぼすように。これからわかるだろう。

電報 スワード(ロンドン)よりヴァン・ヘルシング(アムステルダム)宛

九月四日

キョウ カンジャ イゼン カイフクチュウ

電報 スワード(ロンドン)よりヴァン・ヘルシング(アムステルダム)宛

九月五日

カンジャ オオイニ カイフク。ショクヨクオウセイ シゼンニネムレ カイカツ カオイロヨシ。

電報 スワード(ロンドン)よりヴァン・ヘルシング(アムステルダム)宛

九月六日

ヒドク アッカ。イソギ コイ。アウマデ ホルムウッド アテ デンポウ ホリュウ トス

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