第二十五章

スワード博士の日記

十月十一日、夕刻

ジョナサン・ハーカーが、自分には到底無理だが正確に記録したいと、僕にこのことを書いてくれと頼んできた。

日没の少し前、ハーカー夫人に会いたいと言われたときに誰も驚かなかった。日の出と日没は、彼女にとって特異なことに自由になれる時なのだと、僕たちは最近になって理解したのだ。彼女を支配したり抑制したり、行動を促したりする力なしに、以前の彼女が現れられる時なのだ。この気分や状態は、実際の日の出や日没の三十分以上前に始まり、太陽が昇り切る前や、地平線から差し込む太陽光によって雲がまだ光っている間は持続する。最初は、いくつかの束縛が緩められたかのような、一種の陰の状態があり、その後すぐに絶対的な自由が訪れる。しかし、自由な状態が終わると、先触れのような沈黙が訪れたあと、すぐに元に戻るのだ。

今夜、僕たちが会ったとき、彼女はいくぶん抑圧されているようで、それが内なる葛藤の兆候を示していた。これは、解放の最初期に激しい努力をしているからだと悟った。ほんの数分で、彼女は完全に自身の制御を取り戻した。そして彼女は、半ば横になっているソファの横に座るように夫に指示し、残りの僕たちには椅子を近くに持ってこさせた。そして、夫の手を握ってこう言った。

「私たちは皆そろって、自由のうちにここにいますが、おそらくこれが最後の機会になるでしょうね! あなた、わかってるわ。あなただけは最後まで私と一緒にいてくれるってわかってるから」この言葉は、彼女の手を見るからに固く握っている夫に向けたものだ。「朝には任務に取り掛かるけれど、何が待ち受けているかは神のみぞ知ることです。私を連れて行ってくださるなんて、皆さんは私にとても親切ですね。勇敢な男性が哀れな女性のためにできることはすべて、たとえ私の魂が失われていても──いえ、まだ失われていないけれど、つまり、危機に瀕していても──皆さんしてくださるでしょう。でも、私が皆さんと同じではないことを忘れないでください。私の血の中にも、魂の中にも、何らかの救済がない限り私を破滅させるであろう、私を破滅するに違いない毒があるのです。友人たちよ、皆さんも私と同じく、私の魂が危機に瀕していることをご存知でしょう。そして、解決策が一つあることを知っていても、皆さんも私もそれを取ってはならないのです!」

彼女は訴えかけるように僕たち全員を順番に見たが、その順番は夫に始まり夫に終わっていた。

「その解決策とは」ヴァン・ヘルシングは掠れた声で尋ねた。「我々が取ってはならない──取るべきでない──その策は何だね」

「今、私が死ぬことです。自分の手で、または他の方の手で。より大きな悪が完全に行われる前に。ご存知の通り、私が死ねば、皆さんは私の不滅の魂を解放してくれるでしょう。哀れなルーシーと同じように。もし死や死の恐怖のみが問題であれば、私を愛する友人たちに囲まれて今ここで死ぬことも辞しません。しかし、死だけが問題のすべてではありません。希望と、苦難に満ちた任務を前にして、このような時に死ぬことが、神の御心であるとは思えません。だからこそ私も、永遠の安息という確実さをここで諦め、この世やあの世にある、暗黒の中に進むのです!」

僕たちは皆、黙っていた。これが単なる前振りだと本能的に察していたからだ。他の人たちは表情を曇らせ、ハーカーは顔を青ざめさせた。おそらくハーカーは、これから起こることを誰よりもよく察していたのだろう。彼女は続けた。

「任務という財産併合【訳注:hotch-pot】において、これが私から寄与できるものです」

僕は、彼女がこのような場所で、しかも真剣に、古風な法律用語を使ったことに注目せざるを得なかった。

「皆さんはそれぞれ何を捧げるのでしょうか。命を捧げてくださることは知ってます」彼女はすぐに続けた。「勇敢な方々には簡単なことです。皆さんの命は神のものなので、神に返すことができます。では、私に何を与えてくれるのでしょうか」

彼女は再び伺うように見渡したが、今度は夫の顔を避けた。クインシーは理解したようだ。彼はうなずき、彼女の顔が明るくなった。

「では、私の望みをはっきり言いましょう。今、私たちの間にあるこのつながりに疑念があってはなりませんから。皆さんは約束してくださらなければなりません──最愛の夫であるあなたも──時が来たときには、私を殺すことを」

「どんな時にだい」

その声はクインシーのものであったが、低く、張りつめていた。

「私が生きているより死んだ方がましなほど変わったと、皆さんが確信するときです。私がこの肉体の中で死んだら、皆さんは一刻の躊躇もなく、杭を打ち込み、首を切り落としてください。あるいは私に安息を与えるために必要なことは何でもしてください!」

沈黙の後、最初に立ち上がったのはクインシーだった。彼は彼女の前にひざまずき、その手を取って厳粛にこう言った。

「俺はただの粗暴な男で、このような栄誉を得るような男として生きてきたわけじゃあない。でも、俺が敬愛するものすべてにかけて、その時が来たとき、課された責務からひるまないことを誓う。そして約束しよう、すべてを確実に行うことを。もし疑わしい状況なら、俺はその時が来たと思うだろうね!」

「あなたは、真の友人ね!」

それが、涙を流しながら、彼の手に首を垂れてキスをする彼女の、精一杯の言葉だった。

「ミナ奥様、私も同じく誓おう!」とヴァン・ヘルシングが言った。

「そして私も!」

ゴダルミング卿がそう言うと、二人は順番に彼女にひざまずいて誓いを立てた。僕もそれに倣った。すると、彼女の夫はうつろな目をして、雪のような髪の白さを和らげるような緑がかった顔色で、彼女の方を向いて尋ねた。

「ああ妻よ、僕もそんな約束をしなければならないのかい」

「あなたもよ、私の愛する人」と彼女は言った。彼女の声と目には憐れみが溢れんばかりだった。「あなたが萎縮してはだめ。あなたは私にとって最も親密で、最も大切で、世界のすべてなんだから。私たちの魂は、生涯、そしてその後すべての時間にわたって、ひとつに結ばれているの。勇士たちが、敵の手に落ちないよう妻や女たちを殺したことを考えてちょうだい。愛する者が殺せと頼むからこそ、彼らは迷わなかった。このような試練の時こそ、男性は愛する者に責務があるのよ! そして、あなた、もし私が人の手で死を迎えなければならないのなら、私を最も愛している人の手であってほしいの。ヴァン・ヘルシング博士、哀れなルーシーの件でのあなたの慈悲を忘れてはおりませんわ。ルーシーを愛した方への」彼女は顔を赤らめて言葉を止め、言い方を変えた。「ルーシーに安息を与える最も正当な権利を持っていた方への慈悲を。もしまたその時が来たら、私をひどい束縛から解放したのが夫の愛の手であることを、夫の人生の幸せな思い出にできるよう、あなたに期待します」

「再度誓おう!」

教授の声が響いた。ハーカー夫人は安堵のため息とともに背もたれに寄りかかり、笑顔で言った。

「そして、もう一言、絶対に忘れてはならない警告をします。その時が来るとしたら、素早く突然に来るかもしれません。その時は、時間をかけずに機会を利用してください。その時が来たら、たぶん──いえ! その時が来たら、きっと──私自身が皆さんの敵と手を組んで、皆さんに対抗するかもしれないのです」

「もうひとつお願いがあります」彼女はそう言いながら、とても厳粛になった。「他と違って、すごく重要で必要というわけではありませんが、一つだけしてほしいことがあるんです」

僕たちは皆、了承したが、誰も話さなかった。話す必要がなかったのだ。

「埋葬の辞を読んでいただきたいんです」

彼女の話は、夫の深いうめき声で中断された。彼女は夫の手を握り心臓の上に当てて、言葉を続けた。

「いつかは私のために読まなくてはいけないんだから。この恐ろしい事態の行く末がどうであろうと、私たち全員、あるいは何人かにとっては、埋葬の辞は幸福な思い出になると思うわ。愛するあなたにそれを読んでほしいの。そうすれば、私の記憶では埋葬の辞があなたの声で永遠に残るから──この先に何があっても!」

「僕の愛するミナ、でも」と彼は訴えた。「君にとって、死ははるか先のことだろう」

「いいえ」と彼女は言い、警告の手を上げた。

「墓の土が私の上にのしかかっている場合よりも、この瞬間の私は死においてると言えるわ!」

「妻よ、僕が読まなければいけないのかな」と、彼は読み始める前に言った。

「あなた、読んでもらえたら私の慰めになるの!」

彼女はそう言っただけだった。そして、彼女が本を用意すると、彼は読み始めた。あの奇妙な光景、その厳粛さ、暗さ、悲しみ、恐怖、そして同時に甘美さについて、どうやったら僕は──どうやったら皆──語れるだろう。たとえ神聖なものや感情的なものに対して、苦い真実の茶番劇しか見出せない懐疑論者であっても、愛情深く献身的な友人たちの小さな一団が、打ちひしがれて悲しむ女性の周りにひざまずくのを見たら、あるいは彼女の夫の声の優しい情熱を聞いたら、心を打たれるだろう。夫の声は、感情が昂ってしばしば言葉を止めなければならないほどだったが、ともかく彼は《死者の埋葬》から簡素で美しい辞を読み上げたのだ。僕は、──僕は記録を続けられない──言葉──そして──こ、声が──ダメになってしまった!

彼女の直感は正しかった。その時に影響を受けた僕たちにとっても、後から振り返ると奇妙に思えるが、奇妙なことに埋葬の辞は僕たちを大いに慰めた。ハーカー夫人が魂の自由を失いつつあることを示す沈黙は、僕たちが恐れていたほど絶望に満ちているとは思えなかったのだ。

ジョナサン・ハーカーの日記

十月十五日、ヴァルナにて

十二日の朝にチャリングクロスを出発し、その日の夜にパリに着き、オリエント急行で予約した場所に乗った。昼夜を問わず移動し、ここに五時頃到着した。ゴダルミング卿は領事館へ行き電報が届いていないか確認し、その間に僕たちはこのホテル──《オデッセウス》へ向かった。道中にもいろいろなことがあったかもしれない。しかし、僕はあまりに急いていたので、それらを気にすることはなかった。ザリーナ・キャサリン号が入港するまでは、広い世界の何事にも興味を持てないだろう。ミナは健康で、ますます元気になって、血色も戻ってきた。よかった! 彼女はよく眠り、旅の間もほとんどずっと寝ていた。しかし、日の出と日没の前は、はっきりと目を覚まして警戒しているので、ヴァン・ヘルシングはその時に催眠術をかけるのが習慣になっている。最初は、多少の努力が必要で、何度も繰り返し手を往復させねばならなかった。今では、彼女はまるで習慣のように、すぐに意識をゆだねるようで、ほとんど何の処置も必要ない。彼はこのような特別な瞬間に、ただ意を伝える術を持っているようで、彼女の思考は彼に従う。彼はいつも何が見え、何が聞こえるか尋ねる。彼女は最初の質問にこう答える。

「何も。ぜんぶが暗いんです」

そして二つ目にはこう答える。

「船に打ち付ける波の音が聞こえ、水がほとばしる音が聞こえます。帆布と索がひずみ、帆と帆桁のきしむ音がします。風は強いです──シュラウド【訳注:帆を横側から支える、ロープでできた索具。横静索。】から聞こえる音と、船首が海泡を掻き分ける音からわかります」

ザリーナ・キャサリン号はまだ海上にあり、ヴァルナへ急いでいることがわかった。ゴダルミング卿がちょうど帰ってきた。出発してから毎日一通ずつ、つまり計四通の電報を、ゴダルミング卿は受け取って戻ってきたのだが、すべて同じ趣旨だった。ザリーナ・キャサリン号に関しては、どこからもロイズ社に報告されていないという。ゴダルミング卿はロンドンを出発する前に、代理人から船の報があるかの電報が毎日届くように手配していた。たとえ報告がなくても、電信の向こう側で監視が行われていることを確認するため、電報を受け取ることになっていた。

僕たちは夕食をとり、早く寝た。明日、副領事に会い、可能であれば船が到着したらすぐに乗船できるよう手配することになっている。ヴァン・ヘルシングの言うことには、日の出から日没までの間に船に乗ることで好機を得られるそうだ。伯爵は、たとえコウモリの姿になっていたとしても、自らの意志で流水を渡ることはできないので、船から出ることはできない。人の姿に変わることは絶対にないだろうから──人の姿を避けたいのは明らかだ──箱の中にいなければならない。夜明け後に僕たちが船に乗れば、彼は僕たちの情けに縋るしかなくなる。僕たちは箱を開け、哀れなルーシーの時のように、彼が目覚める前に確認できる。僕たちが彼に与える情けは、たいしたものではないだろう。役人や船員との間に大した面倒は起こらないだろう。ここは賄賂でどうにでもなる国だし、お金も充分にあるのだ。ありがたい! 日没から日の出までの間に、僕たちに知らせずには船が入港できないようにすれば、安全だろう。がめつい判官がこの問題の口利きをしてくれるだろう!

十月十六日

ミナの報告は相変わらずだ。打ち寄せる波とほとばしる水、暗闇と順風。明らかに時間的に余裕があるので、ザリーナ・キャサリン号について耳にする時には、準備万端となっていることだろう。ザリーナ・キャサリン号がダーダネルス海峡を通過する際、何らかの報告があるはずだ。

十月十七日

伯爵が船旅から帰ってくるのを迎える準備は万端だ。ゴダルミングは船での荷主に、送られてきた箱の中に友人から盗まれたものが入っているかもしれないと告げ、自己責任で開けてもよいという半諾を得た。船主はゴダルミングに、船上で好きなことをするためにあらゆる便宜を図るよう船長に伝える一筆を渡し、ヴァルナの代理人にも同様の権限を与えた。僕たちは代理人に会ったが、彼はゴダルミングの丁寧な態度に非常に感銘を受けていた。僕たちは皆、あの代理人は僕たちの希望をかなえるためにできることは何でもしてくれるだろうと満足している。箱が開いたときのことは、すでに取り決めてある。もし伯爵がそこにいたら、ヴァン・ヘルシングとスワードはすぐに首を切り落とし、心臓に杭を打ち込む。モリスとゴダルミングと僕は、用意しておいた武器を使ってでも、妨害を防ぐ。教授が言うには、もし伯爵の体をそのように処理できれば、その体はすぐに塵と化すだろうとのことだ。そうすれば、万一、殺人の疑いをかけられたとしても、僕たちに不利な証拠はないだろう。そうでない場合は、自らの行動と運命を共にするだろう。もしかしたらいつの日か、この日記が僕たちの何人が首吊り縄にかけられることを阻む証拠となるかもしれない。僕自身は、もし伯爵を破滅できる機会があれば、喜んで活用するだろう。僕たちは目的を果たすために、あらゆる手段を講じるつもりだ。ある役人に手配して、ザリーナ・キャサリン号を確認できた瞬間に、特別な使いによって知らせてもらえるようにした。

十月二十四日

丸一週間待った。ゴダルミングには毎日電報が届くが、同じ《ホウコク ミタツ》ばかりだ。ミナの朝夕の催眠術による答えも一様で、打ち寄せる波、ほとばしる水、きしむ帆とのことだ。

電報 ロイズ社ルーファス・スミス(ロンドン)よりゴダルミング卿宛 英国副領事(ヴァルナ)付

十月二十四日

ザリーナキャサリンゴウ ダーダルネス ヨリ ホウ アリ

スワード博士の日記

十月二十五日

蓄音機が恋しい! ペンで日記を書くのは面倒だが、ヴァン・ヘルシングは書くべきだと言う。昨日、ゴダルミングがロイズ社から電報を受け取ったとき、僕たちは皆、熱狂した。僕は今、戦場での鬨の声を聞いた男の気持ちを知っている。ハーカー夫人だけは、僕たちの一行の中で、何の感慨も示さなかった。これは不思議なことではない。僕たちは彼女に何も知らせないように特別の注意を払い、彼女の前では騒ぎ立てないように努めたからだ。前ならどんなに隠しても気づかれただろうが、この三週間で彼女は大きく変わった。無気力な状態が続いている。体力もあり元気そうで、顔色も良くなってきたが、ヴァン・ヘルシングと僕は納得してない。僕たち二人はよく彼女のことを話すが、他の人には一言も漏らしていない。もし僕たちがこの件について疑いを抱いていると知ったら、哀れなハーカーの心臓はたぶん──そして彼の神経は絶対に──壊れてしまうだろう。ヴァン・ヘルシングは、催眠状態にある彼女の歯を非常に注意深く調べ、歯が尖り始めない限り、彼女に変化が起こる危険はないと言っている。もし変化が起きたら、対策を講じなければならない! 僕たちは互い、その考えを口にしないが、その対策がどうあるべきか知っている。二人ともその任務から逃げてはならない──想像するだに恐ろしいが。《安楽死》は素晴らしい言葉であり、安らぎを与えてくれる言葉だ! この単語を考案した人に感謝する。

ザリーナ・キャサリン号の、ロンドンからダーダネルス海峡までの速度を考慮すると、 ダーダネルス海峡からヴァルナまでの経路は約二十四時間かかる。そのため、今日の午前中には到着するはずだが、それ以前に到着することはあり得ないので、我々は全員早々に就寝することとした。一時に起きて、準備しよう。

十月二十五日、正午

まだ船の到着の知らせはない。今朝のハーカー夫人の催眠術の報告はいつもと同じだったから、いつ到着の知らせが来てもおかしくない。僕たち皆が熱狂しているが、ハーカーだけは冷静だ。彼の手は氷のように冷たい。それに一時間前、彼がいつも持ち歩いている大きなグルカナイフの刃を研いでいるのを見かけた。氷のように冷たい手から繰り出される《ククリ》の刃が、伯爵の喉に触れるのは、伯爵にとってはまずい状況だろう!

今日、ヴァン・ヘルシングと僕にとって、ハーカー夫人について少し気がかりなことがあった。正午頃、彼女は僕たちが好まない無気力状態になった。他の人には黙っていたが、僕たちはどちらもこの状況が気に入らなかった。彼女は朝からずっと落ち着きがなかったので、僕たちも最初は彼女が就寝したことが嬉しかった。しかし、彼女の夫が何気なく、起こせないほどぐっすり寝ていると言ったので、僕たちは彼女の部屋に行って確かめた。彼女は自然な呼吸をしており、とても元気で安らかな顔だったので、僕たちは、この睡眠が他の何よりも彼女のためになるのだと判断した。この哀れな娘は忘れたいことが山ほどあるのだから、睡眠が忘却をもたらすのだとしたら、睡眠を取るのは良いことだろう。 

その後。

数時間の睡眠の後に目覚めた彼女が、ここ数日のうちで最も明るく元気そうだったので、僕たちの考えは正しかったのだろう。日没時、彼女はいつものように催眠術での報告をした。黒海のいずこにいるかは分からないが、伯爵は目的地に向かって急いでいる。きっと彼自身の破滅の道を進んでいるのだろう!

十月二十六日

ザリーナ・キャサリン号は今日も来ない。今頃は到着しているはずなのに。ハーカー夫人の日の出の催眠術による報告から、まだどこかを旅していることは明らかだ。船が時折霧のために停止している可能性もある。昨夕入港した汽船の何隻かは、港の北側と南側の両方に点々と霧があると報告していた。我々は監視を続けなければならない。船は今にも報告されるかもしれないのだから。

十月二十七日、正午

とても奇妙なことに、僕たちが待っている船の知らせはまだない。ハーカー夫人は昨夜と今朝、いつものように《打ち寄せる波とほとばしる水》を報告したが、《波は非常にかすかだ》と付け加えている。ロンドンからの電報も変わらず《ゾクホウ ナシ》だ。ヴァン・ヘルシングはひどく不安げで、ついさきほども、伯爵を逃がしてしまったのではと心配している旨を語っていた。そして、こうも付け加えた。

「ミナ奥様のあの無気力さが好きではない。魂と記憶は、トランス状態の時に奇妙なことをしでかすものだ」

僕はもっと聞こうとしたが、ちょうどその時ハーカーがやってきたので、ヴァン・ヘルシングは手を上げて言葉を止めるよう注意を促した。今夜の日没、催眠状態の彼女に更に充分に話をさせなければ。

電報 ルーファス・スミス(ロンドン)よりゴダルミング卿、英国副領事付(ヴァルナ)宛

十月二十八日

ザリーナキャサリンゴウ キョウ イチジ ガラツィ トウチャク ホウ アリ

スワード博士の日記

十月二十八日

船のガラツィの到着を知らせる電報が来たとき、僕たちは誰も、予期したほどの衝撃を受けなかった。どこから、どのように、いつ、霹靂が訪れるかは不明だったが、何か奇妙なことが起こるのだろうとは誰もが予想していたのだ。ヴァルナへの到着が遅れたことで、想定通りにはいかないだろうと各自が覚悟していたのだ。覚悟の後は、どこで異変が起こるかを待っていただけであった。しかしながらも、驚きではある。自然が希望的観測に基づいて働いているので、僕たちは物事に対して、そうであるべきと知っている姿ではなく、そうあるべきと信じている姿を成すだろうと、信じ込んでしまうのだろう。超越論【訳注:哲学の主義。transcendentalism】は、たとえそれが人間にとってはウィルオウィスプ【訳注:will of the wisp。鬼火伝説の一種】のようなものであっても、天使にとっては道標の光となるのだ。これは奇妙な経験で、僕たちは皆、違ったふうに衝撃を受け止めた。ヴァン・ヘルシングは、神に対して抗議するように、一瞬、手を頭の上に上げた。しかし彼は何も言わず、数秒後に厳しい顔で立ち上がった。ゴダルミング卿は真っ青になり、荒い息遣いで座っていた。僕は半ば呆然としながらも、各人を驚きつつ眺めていた。クインシー・モリスは、僕がよく知っているあの素早い動きでベルトを締め直した。僕たちのかつての放浪生活では、その動作は《行動》を意味していた。ハーカー夫人はひどく顔を蒼白にしたため、額の傷跡が燃えるように赤く見えていたが、静かに手を組み、祈るように上を見上げた。ハーカーは微笑んでいた──本当に微笑んだのだ──希望の潰えた者による暗く苦い微笑みだ。しかし、彼の行動は彼の表情と相反した。彼の手は本能的に大きなククリナイフの柄を手繰り、握りしめたのだ。

「ガラツィ行きの次の列車はいつ発車するのかな」と、ヴァン・ヘルシングは僕たちに尋ねた。

「明日の朝六時三十分です!」

ハーカー夫人からの答えだったので、僕たちは皆、驚いた。

「いったいどうしてわかるんですか」とアートが尋ねた。

「お忘れでしょうか──もしかしたらご存じないだけかもしれませんね。ジョナサンも、ヴァン・ヘルシング博士も知っていることなのですが──私は列車マニアなのです。エクセターの自宅では、夫の役に立つようにと、いつも時刻表を作成していました。それが時にとても役に立つので、今はいつも時刻表を読み込んでおります。もしドラキュラ城に行くなら、ガラツィに向かうか、ともかくブカレスト経由になるだろうと思ったので、時刻をしっかり確認したんです。残念なことに、明日出発の列車は私の申し上げた一本だけなので、学べることはあまりありませんでした」

「素晴らしい女性だ!」と教授はつぶやいた。

「特別列車には乗れないのか」とゴダルミング卿が聞いた。

ヴァン・ヘルシングは首を振った。

「残念ながら。この土地は、君や私の国とは非常に異なっている。たとえ特別列車があったとしても、おそらく我々の知る通常の列車と同じようにすぐには到着しないだろう。それに、準備すべきことがある。考えなければならないこともある。さて、計画を立てよう。アーサー君、駅で切符を手に入れ、朝には出発できるよう手配してくれ。ジョナサン君は船の代理店に行って、ガラツィの代理店宛に、ここと同じように船を捜索する権限を与える手紙をもらってきてくれ。モリス・クインシー、君は副領事に会って、ガラツィにいる副領事の同僚と協力してくれ。我々の道行きが順調になり、ドナウ川を越えた後も一刻も無駄にならないよう、その彼にできる限りのことをしてもらうんだ。ジョンはミナ奥様と私と一緒に、ここで相談しよう。外出する面々は、もし時間がかかったら宿に帰るのが遅れるかもしれないが、奥様の報告を聞くために私がここに残っていれば、日が沈んでも支障ないだろう」

「そして私は、」ハーカー婦人は明るく、ここしばらくで最もかつての彼女を彷彿とさせる様子で、そう言った。「あらゆる方法でお役に立つよう努めますね。かつてそうしていたように、皆さんのために考え、書き止めます。何かが奇妙な方法で私から出ていったようで、ここ近日でいつになく自由な感じがしているんです!」

その時、青年三人は彼女の言葉の重大さを理解したようで、嬉しげな表情をした。僕とヴァン・ヘルシングはお互い顔を合わせて、重苦しい、悩ましい視線を交わした。だが僕たちは、その時は何も言わなかった。

三人がそれぞれの任務につくと、ヴァン・ヘルシングは、ハーカー夫人に、日記の写しを調べて、城でのハーカーの日記の部分を探してくれるよう頼んだ。彼女はそれを取りに出ていき、扉が閉まると彼は言った。

「我々は同じことを考えているはずだ! 口にしてくれ!」

「良い変化が起きていますね。希望は人を欺くので、希望は苦手なのですが」

「その通りだ。なぜ彼女に写本を頼んだかわかるかな」

「いいえ!」と僕は答えた。「僕と二人きりになるのが目的ではないんですね。そうでしたら、わかりません」

「ジョン君、ある面では正解だね。でもほんの一面でしかない。君に言いたいことがあるのだ。そして、友よ、君にこれを伝えることで大きな──恐ろしい──危険を冒すことになるが、正しいことだと信じている。ミナ奥様があのように、我々二人の理解できないことを言ったとき、あるひらめきを得たのだ。三日前のトランス状態のときに、伯爵は彼女の心を読むために彼の霊魂を送ったのだ。もしくは、日の出と日没の際に見られることを想定して、海上の船内の土の箱にいる彼を見せるために彼女の霊魂を連れて行ったのだ。その時、彼は我々がヴァルナにいることを知った。なぜなら彼女は、見る目と聞く耳を持った開放的な生活を送っており、棺桶の中に閉じこもった彼よりも、もっと多くのことを伝えられるからだ。今、彼は我々から逃れるため精一杯努めている。そして現在、彼は彼女を不要としている。

「彼はその多大な知識により、彼女が自分の呼びかけに応じると確信している。なのに、彼女を切り離して──できる限り、自分の力から彼女を引き離して、彼女が自分のところに来ないようにしたのだ。長らく神の恵みを失っていない我々の大人の脳が、何世紀にもわたって墓に眠っており、我々の尺度に達していない未発達の脳よりも優れていることを願うね。それに、彼の脳は利己的に働くだけなのだし、些少な脳であることを願おう。ミナ奥様には、トランス状態について一言も教えてはならない! 彼女はこのことを知らない。この情報は彼女を圧倒し、我々が彼女のすべての希望、すべての勇気、そして何よりも彼女の偉大な脳を必要とするときに、彼女を絶望させることとなってしまう。彼女の脳は男の脳のように訓練されているものの、優しい女性の脳だ。さらには、伯爵が彼女に与えた特別な力を持っており、完全に取り去られていない可能性がある──伯爵は取り去れたと思っているかもしれないが。黙ってくれ! 私に話させてくれ、そうすれば分かってもらえるだろう。ジョン君、我々は最悪の状況にある。かつてないほどの恐怖を感じる。神を信じるしかない。静かに! 彼女が来たぞ!」

ルーシーが死んだときと同じように、教授が崩れ落ちてヒステリーを起こすのではないかと思ったが、彼は懸命に自分を抑え、ハーカー夫人が入室したときには、完璧に神経を鎮めていた。ハーカー夫人は明るく楽しげに、仕事に夢中で、まるで自分の不幸を忘れたかのように見えた。彼女は部屋に入ってくると、ヴァン・ヘルシングに何枚ものタイプ打ちされた紙を手渡した。彼は重々しくそれに目を通し、読みながら表情を明るくした。そして、ページを指でつまみながら、こう言った。

「ジョン君、経験豊かな君へ──そしてミナ奥様、若いあなたへ──教訓がある。考えることを恐れるのではない。私の脳裏には、しばしば半端な思考がうごめくが、私はその翼を解き放つことを恐れていた。今、より多くの知識を得てから、その半端な思考がどこから来たのか遡ってみると、それは半端な思考では全くなく、まだ若いため小さな翼を使う力はないものの、完全な思考であることがわかった。いや、私の友人ハンス・アンデルセンの《醜いアヒル》のように、あの思考が翼を広げる時が来れば、アヒルの思考ではなく、大きな翼で高貴に航海する大きな白鳥の思考を持となるだろう。私が先ほど読み改めた、ジョナサンの文章を読んでみなさい。

「《しかし後年、何度も何度も大河を越えて、同胞を鼓舞してトルコに攻め入ったのは、まさにこのドラキュラではなかったか。打ち負かされても、何度も何度も出兵した。自分一人でも勝利できると考えた故に、自軍が殺戮されている血まみれの戦場から一人で帰還せねばならない時もあった!》

「このことから何がうかがえるだろうか。何もないかな。まさか! 伯爵の未発達の思考では何も見えていないからこそ、ここまで自由に話したのだ。君の大人の思考も、私の大人の思考も、たった今までは何も見えていなかった。そうだろう! しかし我々の元に、考えなしに話す誰かから別の言葉が流れてきた。彼女もまた、それが何を意味するのか──何を意味する可能性があるか、知らないから話したのだ。ちょうど、静止していた元素が自然の流れの中で作用し、それらが触れ合うとき、パッ! っと閃光が天に走るのだ。その光は、時に目をつぶし、時に人を殺し、時に破滅させるが、地上を見渡す限り照らし出してくれる。そうだろう。さて、説明しよう。まず始めに、君たちは犯罪哲学を勉強したことがあるかな。そうとも言えるし、そうでないとも言えるね。ジョンは、狂気の研究をしたので、はいと言えるだろう。ミナ奥様はいいえだ。あなたが犯罪に関わったことはない──一度を除いては。それでも、あなたの心は正しく働き、特殊から普遍【訳注:a particulari ad universale】へと論じるようなことはない。犯罪者には次のような特徴がある。それは、どの国でも、どの時代でも、あまりに不変なので、犯罪哲学をあまり知らない警察でさえ、経験的に知るようになる。つまり実証されているということだ。犯罪者は常に一つの犯罪に取り組む──犯罪を生来宿命づけられた真の犯罪者は、他の犯罪に手を染めない。生来の犯罪者は発達した脳を持たない。このような犯罪者は賢く、狡猾で機知に富んでいる。しかし、脳は人並みの大きさではないのだ。多くの点で未発達の脳なのだ。さて、我々の追う犯罪者もまた、罪を犯すよう宿命づけられている。彼は未発達の脳を持っており、彼が行ったことは子供じみている。小鳥、小魚、小動物は原理的に学ぶのではなく、経験的に学ぶ。それと同じく、彼は実践で学んでは、次なる行動の基礎とするのだ。アルキメデスは《Dos pou sto》と言った。《支点を与えよ、されば世界を動かさん!》。一度実行してみることこそが、未発達の脳が大人の脳となる支点なのだ。そして、より高度なことを行う目的を得るまで、彼は前に行ったのと同じように、毎回同じことを繰り返し続けるのだ! 愛しい奥様、あなたの目が見開かれたことから、この情報があなたにとって遥か先の地上をも照らす稲妻であることがわかった」

これは、ハーカー夫人が手を叩き、目を輝かせたことに応じた言葉だ。彼は続けた。

「さあ、お話しなさい。その輝く瞳に映るものを、二人の冴えない科学者に教えてくれはしないか」

彼は彼女の手を取り、彼女が話す間、それを握っていた。僕が本能的かつ無意識に認識したことには、彼の指は彼女の脈をとらえていた。そうして彼女が話し始めた。

「伯爵は犯罪者であり、犯罪者の典型です。ノルダウ【訳注:医師、哲学者。Max Nordau】とロンブローゾ【訳注:犯罪における遺伝的影響を論じた精神学者。Cesare Lombroso】はそう分類したでしょう。犯罪者である彼は、不完全に形成された精神の持ち主です。このため、困難に直面すると、彼は習慣に活路を見出さなければなりません。彼の過去が手がかりとなるでしょう。私たちが知っているその一ページからは──彼自身の口から語られたものです──かつて、モリス氏なら《窮地》と呼ぶだろう状況で、伯爵が侵略地から自国に戻り、それでも目的を失わず、新たに準備に努めたことがわかります。彼は、より十全に準備した状態で再度侵略し、勝利を収めたのです。なので、彼は、新しい土地を侵略するためにロンドンにやってきました。そこで敗れ、すべての成功の望みが絶たれ、生存が危ぶまれると、海を越えて故郷に逃げ帰りました。かつてトルコの地からドナウ川を越えて逃げ帰ったようにです」

「良い、実に良い! あなたはとても賢明な女性だ!」

ヴァン・ヘルシングは熱狂的にそう言い、身をかがめて彼女の手に口づけした。そのしばらく後、彼は僕に、まるで病室で診察しているかのように冷静に言った。

「こんなに熱狂しているのに、ミナ奥様の脈拍は七十二だ。希望はある」

そして、再び彼女に向き直り、鋭い期待を込めてこう言った。

「さあ、続けなさい。続けなさい! あなたが望むなら、もっと話すことがあるはずだ。ジョンと私は知っているから怖がらないでくれ。少なくとも私は正解を知っているので、あなたが正しいか教えてあげよう。怖がらずに話しなさい!」

「そうしてみます。私が自惚れて見えたら、お許しください」

「いいや! 恐れることはない。あなたは自惚れてなければならないのだ。我々はあなたのことを考えているのだから」

「それでは。彼は犯罪者であるがゆえに利己的です。彼の知性は低く、その行動は利己的なので、一つの目的に自らを制限しています。その目的とは無慈悲なものです。自軍が切り刻まれるに任せてドナウ川を越えて逃げ帰ったように、今の彼は安全に徹し、すべてのことに無頓着です。伯爵のこの利己心こそが、あの恐ろしい夜に私を支配した恐ろしい力から、私の魂をいくらか解放してくれるのです。私はその解放を感じました! ええ、感じたんです! 神の偉大な慈悲に感謝します! 私の魂はあの恐ろしい時以来、最も自由です。私を悩ませるのは、トランス状態や夢の中で、彼が私の知識を自分の目的のために利用しないかという恐れだけです」

教授は立ちあがった。

「彼はあなたの心を自分のために利用したのだ。それによって我々はヴァルナに残され、一方彼を乗せた船は霧に包まれながらガラツィに急いだ。彼は間違いなく我々から逃れる準備をガラツィでしていたのだ。しかし、彼の未発達の心にはそこまでしか先見がなかった。そして、神の摂理の常として、悪人が自分自身の利になると見做していたものが、結果的に最大の害となるのかもしれない。偉大な詩編作者【訳注:おそらく旧約聖書の詩編作者、ダビデのこと】が言うように、狩人は自分の罠にかかるのだ。今、彼は我々のすべての追跡から解放されたと思っているだろう。非常に多くの時間が残されているのだから、我々から逃げおおせたと思っているだろう。なので、彼の利己的な未発達の脳は彼を眠りにいざなうだろう。彼はまた、あなたの心を知ることから自身を切り離したのだから、あなたが彼のことを知ることはできないと思っているだろう。ここに彼の失策がある! 彼が与えたあの恐ろしい血の洗礼は、あなたが自由となる日の出や日没の時間におこなったように、あなたが自由に霊的に彼のところへ行けるようにしたのだ。日の出や日没のあなたは、彼ではなく私の意志によって、彼の元に赴いていた。この能力は、あなたが彼の手による苦しみから得たからこそ、あなたや他の人々のためになるのだ。彼がこの能力を知らないことと、彼が自分を守るために我々の居場所の知る手段を手放したことが、今、よりいっそう重要なのだ。我々は利己的ではない。この暗闇の中、この暗黒の時に、神が私たちと共にいてくださると信じている。我々は彼を追う。たとえ、彼の同類となる危険に晒されようと、たじろぐまい。ジョン君、素晴らしい時間だったよ。我々が前進するにあたり、大いに役立った。君は書記になって、これを全部書いておいてくれ。そうすれば、他の者たちが仕事から帰ってきたときに渡せるだろう。そうすれば、彼らも我々と同じことがわかる」

というわけで、彼らの帰りを待つ間、僕はこれを書いた。ハーカー夫人が写本を持って来たことから、彼女がタイプライターで書き写してくれたことがわかる。

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