ジョナサン・ハーカーの日記
十月三日
何かしていないと気が狂いそうなので、この日記を書いている。今は六時だ。三十分後に書斎に集まり、何か食べることになっている。ヴァン・ヘルシング博士とスワード博士の、食べずには全力を尽くせまいという意向による。今日は僕たちの全力が必要だ。筆を置いて考える勇気がないから、隙を見て書き続けなければ。大きなことも小さなことも、すべて書き留めなければならない。おそらく最終的には、些事が最も多くを語るだろう。それらが何を語ったとしても、ミナや僕が今日以上の苦境に行き着くことはないだろう。僕たちは信頼を失わず、希望を持たなければならない。哀れなミナは、たった今、頬に涙を伝わせながらも、困難と試練の中でこそ信仰が試されることを──だからこそ信じ続けねばならないことを、そして神は最後まで僕たちを助けてくださることを伝えてくれた。最後までとは! ああ神よ、どんな最後が待ち受けているのだろうか! とまれ働こう! 働かねば!
ヴァン・ヘルシング博士とスワード博士が哀れなレンフィールドに会って戻ってきたあと、これからどうすべきかを僕たちは真剣に検討した。スワード博士が言うには、彼とヴァン・ヘルシング博士が下の部屋に降りたとき、レンフィールドがぐったりと床に倒れていたそうだ。顔は傷だらけで潰れており、首の骨は折れていた。
スワード博士は通路で当直をしていた世話人に、何か聞こえたかどうか尋ねた。彼は、部屋の中で大きな声が聞こえたその時、座っていて、半ば居眠りをしていたことを告白した。レンフィールドが何度も大声で《神よ! 神よ! 神よ!》と叫び、そのあと倒れる音がしたので、部屋に入ると、医師たちが見たのと同じように床にうつぶせに倒れているのを発見したそうだ。《複数の声》だったか《一人の声》だったかとヴァン・ヘルシングが尋ねると、わからないと答えたそうだ。最初は二人いるように思えたが、部屋には誰もいなかったので一人だけだったかもしれないとのこと。《神》という言葉が患者によって語られたことは、必要あらば誓えるとのこと。
僕たちだけになったあと、スワード博士は、この問題に深入りしたくないと言った。検死解剖をどうするか考慮しなければなるまい、誰にも信じてもらえないような真実は述べられないからね、とも言った。世話人の証言をもとに、ベッドからの落下が原因で不慮の事故に遭い死亡したという証明書を出せるとのこと。検死官が要求すれば、正式な検死が行われ、必然的に同じ結果になるだろう、というのが彼の考えだった。
次の一手をどうするかという話になった時、僕たちが最初に決めたのはミナへ全幅の信頼を置くことだった。どんなことでも──どんなにつらいことでも──秘密にしてはいけない。この英断に彼女自身も同意した。彼女が勇敢でありながらも悲哀に満ち、絶望の淵にいる姿は哀れであった。
「隠し事をしてはいけません」と彼女は言った。「私たちはもう充分に秘密を経験したではありませんか! それに、この私がすでに耐え、今苦しんでいる以上の苦痛を与えられるものは、この世に存在しません! どんなことが起こっても、それは私にとって新しい希望や勇気になるに違いありません!」
ヴァン・ヘルシングは彼女が話しているのをじっと見つめていたが、突然、しかし静かにこう言った。
「しかし、親愛なるミナ奥様、あなたは怖くないのかね。あなたに何が起こるか、ではない。あなたに何かあったときに他の人に起こることが、だよ」
彼女が次のように答えた時、彼女の表情は固かったが、その目は殉教者の献身により輝いていた。
「いいえ! 私の心は決まっていますから!」
「どう決まってるのかな」
彼は優しく問いかけた。僕たちは皆、じっとしていた。なぜなら、各々がそれぞれの形で、彼女が何を言いたいのか漠然とした考えを持っていたからだ。彼女の答えは、まるで事実を述べているだけのような、率直で簡素なものだった。
「もし自分に──今後注意深く監視しますが──愛する人を傷つけるような兆候を見つけたら、私は死にます!」
「自殺するのでは無いですよね」とヴァン・ヘルシングは掠れた声で尋ねた。
「自殺いたします。自殺を行う苦痛と労力から救ってくれる、私を愛する友人がいない場合は!」
彼女は話しながら意味ありげにヴァン・ヘルシングを見た。彼は座っていたが、やがて立ち上がり、彼女の近くに行き、彼女の頭に手を置いて、厳粛に言った。
「我が子よ、あなたのためになるなら、手を下す者はいるだろうね。私自身、あなたを安楽死させることを、神に約束できる。それが最善の手であった場合には、今この時にでも。それを行うことが安全ならば! しかしだね、私の子よ──」
彼は一瞬息が詰まったように見え、大きな嗚咽が喉から上がってきた。しかし、それを飲み下して続けた。
「あなたと死の間に立ちふさがる者がここにいる。死んではならない。どのような手によっても死んではならないが、とりわけ自分の手によって死んではならん。その幸福な人生を汚した者が真に死ぬまでは、あなたは死んではならない。奴が生ける不死者であるときに、あなたが死ねば、彼と同じに作り変えられてしまう。生きなければならないのだ! 死は言葉に尽くせないほどの恵みに見えるだろうが、生きようともがき、努力しなければならない。たとえ苦痛の中にあっても、喜びの中にあっても、昼であっても夜であっても、安全であっても危険であっても、あなたは死と戦わなければならない。生きているあなたの魂に告ぐ。この大いなる試練が過ぎ去るまで、あなたは死なないようにしなくては──いや、死について考えないようにしなくてはならない」
哀れな彼女は死んだように白くなり、かつて見た流砂が潮の満ち引きで震えていたように、衝撃で震え上がった。僕たちは皆、何もできずに黙っていた。やがて彼女は落ち着きを取り戻し、彼の方を向いて、優しく、しかしとても悲しげに、手を差し出しながら言った。
「親愛なる友よ、約束しましょう。もし神が私を生かすというのなら、生きるよう努めます。もし神の御心に適うなら、この恐怖が過ぎ去るまで生き続けます」
彼女がとても善良で勇敢だったので、僕たちは皆、彼女のために努力し耐え忍ぼうという心が強まった。これからどうしたらよいかを話し合った。僕は彼女に、金庫の中のすべての書類と、今後使うかもしれないすべての書類や日記や蓄音機を所持し、これまでと同じように記録を残してほしいことを言い渡した。彼女は何かできることがあることに喜んでいた──《喜ぶ》という言葉を、これほど深刻な事態と結びつけて使えるのなら、だが。
常ながら、ヴァン・ヘルシングは他の誰よりも先のことを考え、我々の任務の厳密な手順を用意していた。
「カーファックスを訪問した後の会議で、そこにある土の箱を残置すると決めたのは、おそらく良かったのだろう。もし何かしていれば、伯爵は我々の目的を察知して、他の箱についての類似の企みを挫く手段を事前に講じたに違いないが、今の彼は我々の狙いを知らない。いや、それどころか、おそらく彼は、彼の隠れ家を浄化するような力を我々が持っており、昔のように棲家を使えないことも知らないのだ。箱の所在についての情報は、今やかなり把握できているのだし、ピカデリーの家を調べれば、最後の一箱まで突き止められるかもしれない。今日という日は我々のものであり、今日という日に我々の希望がある。今朝、我々の嘆きを照らした太陽は、その行く手において我々を守ってくれるのだ。日が沈むまで、あの怪物はいかなる形でも現在の姿を保たなければならない。彼は、土の箱という制限に閉じこもるしかないのだ。空気に溶け込むことも隙間から消えることもできない。彼が戸口を通り抜けるときは、人間のように戸を開けなければならない。今日こそ、我々は彼の隠れ家をすべて探し出し、それを浄化せねばならない。まだ捕らえて滅ぼせずとも、やがて確実に捕らえて滅ぼせるような場所に、追い込もうではないか」
会議中は行動を起こせないので、このままではミナの人生と幸せが掛かった数分、数十秒が過ぎ去ってしまうと思い、僕は立ち上がった。しかし、ヴァン・ヘルシングは警告するように片手を挙げた。
「ジョナサン君、そうではない」彼は言った。「この場合、君たち英国のことわざでいうところの、急がば回れというやつが当てはまるだろう。我々は皆、その時が来たら、迅速に行動しなければならない。しかし、ピカデリーのあの家にこそ、この状況を打開する鍵があるはずだ。伯爵は、多くの家を購入して所持しているだろう。彼はそれらの家の購入証書、鍵、その他様々なものを持っているであろう。また、書き物をした紙や小切手の帳簿も持っているだろう。彼にはどこかに持っていなければならない多くの持ち物がある。その持ち物を保管するのが、中心的都市であり、とても静かな街並みで、彼が四六時中表裏を行き来できる上に、交通量が非常に多くて誰も気づかない、ピカデリーのような場所でないはずはない。我々はピカデリーに行って家を捜索する。そして、その家にあるものを把握したときに、アーサー君の狩りの表現で言うところの《逃げ穴を土で塞ぐ》ことができ、古いキツネを追い詰められる──そうではないかな」
「それでは、すぐに向かいましょう」僕は叫んだ。「僕たちは、貴重な、とても貴重な時間を無駄にしています!」
教授は動かず、ただこう言った。
「そして、どうやってピカデリーのあの家に入るのかね」
「どんな方法でもいい!」僕は叫んだ。「必要なら押し入ろう」
「その場合、警察は一体どこにいて、何を言うのだろうね」
僕は動揺したが、教授が行動を引き延ばしたいのなら、それなりの理由があるのだろうと思い直した。なので、できる限り静かに言った。
「必要以上に待つ必要はないのでは。僕がどんな苦しみを感じているか、きっとご存知でしょう」
「我が子よ、知っているよ。君の苦悩を無駄に深めるようなことはしまい。でも考えてみてくれ、世間が動き出すまでに、我々に何ができるかを。世間が動き出して初めて、我々の出番となるのだ。考えに考えたのだが、一番簡単な方法が一番いいようだ。さて、我々は家に入りたいが、鍵がないのだったね」
僕はうなずいた。
「もしも君が、あの家の持ち主で、家に入れなかったとしたら。そして、その家に侵入する気持ちではないとしたら。どうするかね」
「信頼できる錠前屋に頼んで、鍵を開けさせますね」
「警察も干渉してくるのでは」
「いいえ! もしその人がちゃんと雇われていると知ったら、そんなことはしないでしょう」
「それなら」と、彼は鋭く僕を見据えた。「問題は、雇い主の意識と、その雇い主が良心の持ち主か悪心の持ち主かどうかを判断する警察官の信念だけだ。このような判断を行うとは、君たちの警察は本当に熱心な人たちであり、心を読むことにとても──とても!──長けているに違いない。ジョナサン君、ロンドンあるいは世界のどの都市でも、百軒の空き家の鍵を外したとしても、そうしたことが正しく行われるやり方で、そうしたことが正しく行われる時に行えば、誰も邪魔はしないだろうね。ロンドンでとても立派な家を所有していた紳士が、夏の数ヶ月間スイスに行き、家に鍵をかけたところ、泥棒が来て裏の窓を壊して中に入ってしまったという話を読んだことがある。そして、警察の目の前で、正面の雨戸を開けて、扉から出たり入ったりしたそうだ。そして、その家で競売を行い、それを宣伝し、大きな張り紙をしたそうだ。その日が来ると、その人の持っていたすべての品物を立派な競売人により売り払ったそうだ。そして、建設業者に行き、その家を売り、一定期間内にそれを取り壊してすべて撤去することを契約したそうだ。そして、警察やその他の機関も、彼にできる限りの手助けをした。その所有者がスイスの休暇から戻ってきたとき、彼の家があった場所には空っぽの空間があるだけだったのだよ。これはすべて《整然》【訳注:en regle】と行われたことだ。我々の仕事も《整然》としてなければならない。早い時間に行っても、まだ忙しくない警官に変だと目をつけられるだけだ。十時過ぎに行けば、大勢の人がいるだろう。我々が本当に家の主であれば、錠前屋を呼んでもおかしくない時間だ」
彼がいかに正しいかを理解せずにはいられなかったし、ミナのひどい絶望的な表情も和らいだ。このような良い助言には希望を見出すことができる。ヴァン・ヘルシングは続けた。
「その家に入れば、もっと手がかりが見つかるかもしれない。とにかく、何人かはそこに残って、残りはもっと土の箱がある他の場所──バモンシーとマイルスエンドを探せばいい」
ゴダルミング卿は立ち上がった。
「お役に立てます」と彼は言った。「馬と馬車を最も便利なところに置くように、部下に電報を打っておきます」
「なあ、いいかい」とモリスが言った。「馬に乗ろうと思ったときのために用意しておくのはいい考えだが、ウォルワースやマイルスエンドの道で、紋章をあしらったお前の洒落た馬車を使えば、目的に反して人目を引くと思うね。南や東に行くときは辻馬車に乗って、目的地の近くに待たせればいい」
「クインシー君の言うとおりだ!」と教授は言った。「彼は全く落ち着いているね。我々が向こうで成すのは困難なことだから、誰にも見て欲しくないのだよ」
ミナはあらゆることに興味を示したので、この緊急事態が、あの夜の恐ろしい体験を一時的にでも忘れさせるのに役立っているのだろうと、嬉しくなった。彼女はとても青白かった──いっそ不気味なほどだった。とても痩せていて、唇が引きつったようで、歯が多少目立っていた。彼女に無用な苦しみを与えないように、このことは述べなかった。しかし、伯爵が血を吸ったときに哀れなルーシーがどうなったかを考えると、血管の血が凍るようであった。歯が鋭くなる兆候はないが、まだ時間があまり経ってないので、恐怖を感じるべき時間がまだあるのだ。
取り組む順序や、戦力の配置について議論すると、新たな疑問の種が生まれた。しかしながら、ピカデリーに向かう前に、手近にある伯爵の隠れ家を破壊することで最終的に合意した。伯爵がすぐに察知した場合に備えて、破壊作業において彼に先んじるべきだ。彼が完璧に物質化されている状態、および最も脆弱な状態であれば、何か新しい手がかりが手に入るかもしれない。戦力の配置については、カーファックス訪問後、全員でピカデリーの家に入ろうという教授からの提案があった。それから医師二名と僕はピカデリーに残り、ゴダルミング卿とクインシーがウォルワースとマイルスエンドにある隠れ家を探し出して破壊するのだという。あり得そうにはないが、日中に伯爵がピカデリーに現れる可能性があり、そうであればその場で対処できるかもしれない、と教授は主張した。いずれにせよ、僕たちは力づくで彼を追えるかもしれない。この計画における、僕も同行するという点に関しては、強く反対した。ここに残ってミナを守るつもりだと主張し決心していたのだ。しかし、ミナは僕の反対を聞こうとはしなかった。彼女は、僕が役に立てる法的な問題があるかもしれず、トランシルヴァニアでの経験から理解できる手がかりが伯爵の書類の中にあるかもしれないと言った。そして現状では、伯爵の並外れた力に対処するために、持てる力のすべてが必要であるとも言った。ミナの決心は揺るがず、みんなで力を合わせることが最後の望みだというので、僕は降参せざるを得なかった。
「私自身については」と彼女は言った。「何も心配はしてないの。事態はこれ以上ないほど悪いのだから、何が起ころうとも、その中には希望や慰めがあるに違いないわ。ジョナサン、行ってらっしゃいな! それが神のお望みとあらば、私が一人でいようと、誰と一緒にいようと、変わらず神がお守り下さるでしょうし」
なので、僕は大声で叫んだ。
「すぐに行きましょう、時間がありません。伯爵は僕たちが思っているより早くピカデリーに来るかもしれません」
「それはない!」
ヴァン・ヘルシングが手を挙げて言った。
「どうしてですか」と僕は尋ねた。
「お忘れかな」彼はなんと微笑みながら言った
「昨夜、彼はたっぷりと食事をしたのだから、遅くまで寝ているだろう、ということを」
忘れるわけがない! まさか──忘れられない! 果たしてあの恐ろしい光景を忘れられるものがいるだろうか! ミナは勇敢な表情を保とうと努力したが、苦しみに耐え切れず、両手で顔を覆って震え、うめき声を上げた。ヴァン・ヘルシングは、彼女に恐ろしい体験を思い出させるつもりはなかった。彼は、知的作業の中で、彼女のことや、彼女が負わせられた役割を見失っていただけなのだ。自分が何を言ったか気付いたとき、彼は自らの軽率さに愕然とし、彼女を慰めようとした。
「ミナ奥様」と彼は言った。「愛しいミナ奥様。なんてことだ! あなたを敬う私が、こんな軽率なことを言ってしまったとは。この愚かな老いた唇と愚かな老いた頭には、そのような慈悲をかける価値はないが、忘れてくれないかね」
彼は彼女のそばに低くかがみながら話した。彼女は彼の手を取り、涙ながらに彼を見て、掠れた声で言った。
「いいえ、私は忘れません。覚えていることは良いことですから。それに、あなたとの思い出はとても素敵なものばかりですから、すべて一緒に受け止めます。さて、皆さんはそろそろ行かねばなりません。朝食ができたので、食べて体力をつけましょう」
朝食は、みんなにとって不思議な食事となった。僕たちは明るく励まし合おうとし、ミナは僕たちの中で一番陽気で明るかった。食事が終わると、ヴァン・ヘルシングは立ち上がって言った。
「さあ、親愛なる友よ、我々は恐ろしい冒険に出発するのだ。あの夜、初めて敵の隠れ家を訪ねた時のように、霊的な戦いや肉弾戦に備えた武装はしているかね」
僕たちは皆、彼を安心させた。
「それなら問題ない。さて、ミナ奥様、いかなる場合でも日没まではここが安全だ。そして、日没前に我々は戻る──ただし──いいや、戻ってみせる! しかし我々の出発前に、あなた個人を狙った攻撃に対する武装を確認させてほしい。あなたが階下に降りてから、あなたの部屋に、我々がよく知る物たちを置いて、彼が入ってこられないように準備した。今度は、あなた自身を守らせてもらいたいのだ。あなたの額に聖餅を、父と子と精霊の名に──」
恐ろしい叫び声が上がり、僕たちの心臓は凍りつきそうになった。ミナの額にその聖餅を置くと、それはまるで白熱した金属の破片のように、皮膚に焼き付いたのだ。哀れな彼女の脳は、彼女の神経がその痛みを受け取るのと同時に、この事態の重大性を理解した。この二つが彼女を圧倒し、彼女の張り詰めた神経が、あの恐ろしい叫び声にその想いを託したのだ。しかし、彼女の考えを伝える言葉もすぐに発言された。叫び声の反響が止まないうちに、絶望的な苦悩に打ちひしがられ、彼女は床に膝をついた。昔のらい病患者【訳注:原文は《leper》であり、ハンセン病患者の古い呼称。皮膚と神経に病変が現れることで知られる。ここでは《らい病》と訳しているが、《らい病》も《Leper》も、ハンセン病患者への社会的スティグマと結び付きが深い単語であることに注意】がマントを手繰り寄せて身を隠したように、美しい髪を顔に手繰り寄せて、泣き叫んだ。
「穢らわしい! 穢らわしい! 全能の神でさえ、私の穢れた肉体を拒絶するのね。この恥辱の印は、審判の日まで額に刻まれなければならないのね」
皆、しばし沈黙した。僕はどうしようもない悲痛な気持ちから、彼女のそばに身を投じ、腕を回して強く抱きしめた。数分間、僕たちの悲嘆に暮れた心臓は共に鼓動し、僕の周囲の友人たちは目を背けて静かに涙を流した。そして、ヴァン・ヘルシングはこちらを向いて重々しくこう述べた。あまりに重々しかったので、彼が何らかの形で啓示を受け、自分の範疇外の事柄を述べているのだと感じざるを得なかった。
「地上とそこに置かれた神の子供たちのすべての過ちは必ずや正されるべきだと、審判の日に神がお考えになるまでは、その印を負わなければならないかもしれない。ミナ奥様、愛しい奥様、あなたを愛する我々は、その赤い傷跡が、つまり神が過去について知っているのだという印が、額から消え去り、あなたの心のように額が綺麗になるように願う。我々が生きてさえいれば、我々にかかる苦難の重荷を取り除くことが正しいことだと神がお考えになったとき、その傷跡は確実に消えるだろうからだ。それまでは、御子が御心に従って十字架を背負ったように、我々も十字架を背負うのだ。我々は神の喜びの道具として選ばれ、鞭打ちや恥、涙や血、疑いや恐れなど、神と人間の間にあるすべての違いを乗り越えつつ、神の命へと近づいていくのかもしれない」
その言葉には希望があり、慰めがあり、諦めを生じさせるものだった。ミナも僕もそう感じ、同時に老人の片手を取り、かがんでキスをした。そして、何も言わずにひざまずき、手を取り合って、互いに誠実であろうと誓い合った。僕たち男性勢は、それぞれのやり方で、僕たちが愛した彼女の頭から悲しみのベールをはがすことを誓い、僕たちの目前の恐ろしい任務に助けと導きがあるように祈った。
そして、いよいよ出発の時が来た。僕はミナに別れを告げた。これは二人とも死ぬまで忘れることのできない別れとなった。そして、僕たちは出発した。
一つだけ決心したことがある。もし、ミナが最終的にヴァンパイアにならざるを得ないとわかったら、彼女が孤独にあの未知の恐ろしい土地に行くことはないだろうということだ。つまり、昔、一人のヴァンパイアが多数のヴァンパイアを生み出したのはこういうことなのだろう。神聖な土の上でしか彼らの醜い体が休めないのと同様、神聖な愛が彼らのおぞましい軍隊の徴兵隊長を務めるのだ。
僕たちは何の問題もなくカーファックスの家に入り、最初に侵入したときと同じ状態にあることを確認した。放置され、埃と腐敗に覆われたごく平凡な環境下に、僕たちが既に経験したような恐怖の根源が存在するとは信じがたいことだった。もし僕たちが決心していなかったら、そして僕たちを駆り立てる恐ろしい記憶がなかったら、任務を遂行できなかっただろう。この家には書類もなければ、家が使用された形跡もなかった。古い礼拝堂には大きな箱が、最後に見たときと同じように置かれていた。ヴァン・ヘルシング博士は、箱の前に立った僕たちに、厳粛な表情でこう言った。
「さて、我が友よ、我々はここでなすべき責務がある。聖なる記憶の詰まった神聖なこの土は、堕落した用途のために彼が遠い国から持ってきたものだ。彼は、この土が神聖なものであるからこそ、この土を選んだのだ。この土をさらに神聖なものにすることで、彼自身の武器で彼を打ち負かすことができる。人のために神聖にされた土を、今度は神のために聖なるものとするのだ」
話をしながら彼は鞄からネジ回しとレンチを取り出し、すぐに一つの箱の上部が開けられた。カビ臭い土のにおいがしたが、僕たちは気にせず教授の行動に集中した。彼は箱から聖餅の一部を取り出し、それを恭しく土の上に置き、蓋を閉めてネジを締めはじめたので、僕たちは彼の作業を手伝った。
僕たちは、大きな箱それぞれを同じように処理し、一見したところ最初の状態でありつつも、それぞれの箱の中に聖体の一部があるようにした。
僕たちが外に出て扉を閉めたとき、教授は厳粛にこう言った。
「すでに多くのことを成し遂げた。もし、他の全ての箱についても、かように成し遂げられるならば、今晩の夕焼けの光は、ミナ奥様の、象牙のように白く、何の汚れもない額を照らし出すことあろう!」
汽車に乗るために駅に向かう途中、芝生の上を通り過ぎると、精神病院の正面が見えた。僕が熱心に見ていると、自室の窓からミナが見えた。僕は彼女に手を振って、そこでの仕事がうまくいったことを伝えるために頷いた。すると、彼女もうなずいて理解を示した。最後に見たとき、彼女は手を振って別れを告げていた。僕たちは重い気持ちで駅に向かいプラットホームに到着し、ちょうど蒸気をふかしてきた列車に乗り込んだ。この日記は列車の中で書いた。
ピカデリー、十二時三十分
フェンチャーチ通りに着く直前、ゴダルミング卿が僕に言った。
「クインシーと私は鍵屋を探します。万一、何かあったら困るから、あなたは一緒に来ない方がいい。この状況なら、空き家に押し入っても悪いことにはならないでしょう。しかし、あなたは弁護士なので、社団法人法律協会からお咎めがあるかもしれません」
僕は、悪評の危険性を分かち合えないことに不満を唱えたが、彼は続けた。
「それに、あまり人数が多くない方が注意を引かないでしょう。私の肩書きがあれば、鍵屋も、もし来たとしたら警察官でも大丈夫です。ジャックと教授と一緒に、グリーンパークの家が見えるところで待機した方がいい。扉が開いて、鍵屋が立ち去ったのを確認できたら、みんなで来てください。私たちが見張りとなって、中にお入れします」
ヴァン・ヘルシングが「いい助言だ!」と言ったので、僕たちはそれ以上何も言わなかった。ゴダルミングとモリスは辻馬車で駆け出し、僕たちは別の馬車で後に続いた。僕たち一団はアーリントン通りの角で降り、グリーンパークに入った。僕たちの希望を担った家が、賑やかで立派な隣家の中に、荒れ果てた状態で重々しく静かにそびえ立っているのを見たとき、僕は胸の鼓動を高鳴らせた。僕たちは見晴らしのよいベンチに腰を下ろし、なるべく人目を引かないようにとタバコを吸い始めた。他の人たちが来るのを待ちながらも、鉛のような足取りで時が進んでいった。
やがて、四輪車が走ってくるのが見えた。そこからゴダルミング卿とモリスが悠然と降り、い草で編んだ道具籠を持った太った職人が御者席から降りた。モリスが辻馬車の御者に金を払うと、御者は帽子に触れてから走り去った。二人は一緒に階段を上がり、ゴダルミング卿がやって欲しいことを指示した。職人はのんびりとコートを脱いで手すりの突起にかけ、ちょうど歩いてきた警官に何かを言った。警察官は納得してうなずき、ひざまずいた職人は自分の鞄をそばに置いた。そして、その鞄の中を探し、道具を取り出して、自分の横に整然と並べた。そして立ち上がり、鍵穴を覗き込み、息を吹きかけ、雇い主の方を向いて何か言った。ゴダルミング卿が微笑むと、男は大きな鍵束を取り出し、そのうちの一本を選ぶと、あたかも自分の感覚を探るかのように、鍵を差し込んで探りはじめた。しばらく探ったあと、二つ目、三つ目を試した。すると突然、彼が少し押しただけで扉が開き、彼と他の二人は広間に入った。僕たちはじっと座っていた。僕のタバコは激しく燃えたが、ヴァン・ヘルシングのものはすっかり冷たくなってしまっていた。僕たちが辛抱強く待っていると、職人が鞄を持って出てきた。そして彼は、扉が少し開くように扉を膝で支えながら、鍵を合わせた。この鍵をゴダルミング卿に渡すと、ゴダルミング卿は財布を取り出して何か渡した。男は帽子に触れ、鞄を取り、コートを羽織って去っていった。この一部始終を誰も気に留めなかった。
その男がすっかりいなくなったところで、僕たち三人は通りを渡り、扉をノックした。すぐにクインシー・モリスが扉を開け、その横にゴダルミング卿が立ってタバコに火をつけていた。
「この場所はとても不潔な臭いがする」
僕たちが中に入ると、ゴダルミング卿がそう言った。確かに不潔な臭いがする──カーファックスの古い礼拝堂と同じ臭いだ──そして、これまでの経験から、伯爵がこの場所をかなり頻繁に使っていたことは明白だった。僕たちは探索するために家の中を移動したが、攻撃に備えて全員一緒に行動した。強くて狡猾な敵が相手だとわかっていたし、伯爵が家の中にいないとも限らないからであった。広間の奥にあるダイニングルームには、土の入った箱が八つあった。九つの箱のうち、八つしかない! 僕たちの仕事はまだ終わらない。足りない箱を見つけるまでは終わることはないのだ。狭い石畳の庭に面した窓の雨戸を開けると、そこには小さな家の正面を模した厩舎の、真っ白な壁が見受けられた。厩舎には窓がないので、覗かれる心配はない。僕たちは箱を調べるのに時間をかけなかった。持ってきた道具を使って、一箱ずつ開けて、古い礼拝堂で他の箱を処理したように処理した。伯爵がこの家にいないことは明らかだったので、僕たちは伯爵の持ち物を探した。
地下室から屋根裏部屋まで、他の部屋を一通り見た後、ダイニングルームに伯爵の持ち物と思われるものがあるという結論に達した僕たちは、それらを細かく調べていった。それらは、ダイニングルームの大きなテーブルの上に整然と並べられていた。ピリカリー家の権利証の大きな束。マイルスエンドとバモンシーの家の購入証書。覚書用紙、封筒、ペンとインクがあった。すべて薄い包装紙で覆われていて、埃から守られていた。他にも、洋服ブラシ、ブラシと櫛、水差しと洗面器があった──洗面器には血で赤く染まった汚れた水があった。最後に、大小さまざまな鍵の山があったが、おそらく他の家のものだろう。僕たちがこの最後の発見物を調べると、ゴダルミング卿とクインシー・モリスは東と南の家のさまざまな住所を正確に覚書して、大きな鍵の束を持ち、これらの場所の箱を破壊するために出発した。残った僕たちは、できる限りの忍耐力をもって、彼らの帰還を──あるいは伯爵の到来を待っているのだ。