5月5日

ジョナサン・ハーカーの日記

五月五日、城にて

早朝の暗い時間が過ぎ、太陽が遠くの地平線上に高く昇りはじめた。地平線はギザギザとして見えた──遠近感が無くなるほど遠いので、それが木々のせいか丘のせいかはわからない。眠くないし、朝起きるまで人に声をかけられることもないので、当然、眠くなるまで執筆している。奇妙なことがたくさんあった。これを読んだ人が、ビストリッツを発つ前の僕が豪華すぎる食事をしたと誤解しないよう、僕の夕食を正確に書き留めておこう。彼らが《泥棒ステーキ》と呼ぶものを食べた──ベーコン、タマネギ、牛肉を赤唐辛子で味付けし、棒に刺して火であぶったもので、ロンドンの猫餌用肉【訳注:Cat’s Meat。ロンドンでは馬肉等の切れを猫餌用としてCat’s Meat Manが売っていた】のステーキのような簡素な料理だ。ワインはゴールデン・メディアッシュで、舌に奇妙な刺激を与えるが、嫌な感じはしない。これを二杯ほど飲み、他には何も飲まなかった。

僕が乗合馬車に乗ったときに、御者席に着く前の御者が宿の女主人と話しているのが見えた。彼らは明らかに僕のことを話しているようで、時々僕を見た。扉の外のベンチ(彼らはこれを《言葉を伝えるベンチ》という意味の名称で呼んでいた)に座っていた数名もやってきては話を聞き、哀れみの目で僕を見た。多くの単語がしばしば繰り返されるのが聞き取れたものの、色々な国の人で成り立った群衆のため奇妙な単語ばかりだった。そこで、鞄からそっと多言語辞書を取り出して、それらの単語を調べてみた。その中には、《Ordog》(サタン)、《pokol》(地獄)、《Stregoica》(魔女)、そして《vrolok》《vlkoslak》(どちらも同じ意味で、一方はスロバキア語、他方はセルビア語でオオカミまたはヴァンパイアのことだ)があり、少し陰鬱な気持ちになった。(覚書、これらの迷信について伯爵に尋ねなくては)。

僕たちが出発する時には、宿の扉の周りにいた群衆はかなりの大きさに膨れ上がり、全員が十字を切って僕の方に指を二本差し出した。他の乗客に意味を尋ねても最初は答えてくれなかったが、僕が英国人だと知ると、それが魔よけの仕草だと説明してくれた。見知らぬ土地で見知らぬ人に会う予定の僕にとって、愉快なことではなかった。しかし、誰もがとても心優しく、とても悲しげで、とても哀れみを持っているようだったので、心動かされた。宿屋を最後に見たときの風景を、決して忘れることはないだろう。大勢の人が絵のように体を寄せ合って広いアーチの周りに立っていた。その背景には、庭の中央に密集して置かれた緑豊かな鉢植えである、夾竹桃とオレンジの木があった。やがて、御者席の前面全体を覆うようなリネンの幅広のズボン──《Gotza》と呼ばれるらしい──を履いた御者が、一列に組まれた四頭の小さな馬に大きな鞭を打ち、僕たちは旅に出た。

美しい光景を目の当たりにして、曖昧な恐怖はすぐに忘れてしまった。しかし、もし同乗者の話すその言語、いや、それら複数の言語を知っていたなら、そう簡単に聞き流すことはできなかったやもしれない。目の前には森と林に覆われた緑の丘が広がり、あちこちに急な坂道があり、その上に木の塊や農家があり、その切り妻が道路に面していた。リンゴ、プラム、ナシ、サクランボなど、いたるところに果物の花が咲き乱れ、馬車で走っていると、木の下の緑の芝生に落花が散っているのが見えた。この《ミッテルランド》と呼ばれる緑の丘の中を、道路は草深い角で曲がりながら、あるいは松林の端に遮られながら、炎の舌のように駆け巡っていた。悪路にもかかわらず、飛ぶような速さで駆け抜けていく。なぜ急ぐのかわからなかったが、御者はボルゴ峠まで一刻も早くたどり着きたかったのだろう。この道は、夏場はとても状態がいいそうだが、冬の降雪後の今はまだ整備されていないらしい。カルパチア山脈の一般的な道路とは異なり、道路はあまり整備されていない方がいいという伝統なのだ。昔、ホスパダール【訳注:ワラキアとモルダヴィアの支配者】は、外国軍を招致する準備をしているとトルコ人に思われぬよう道を修繕せず、常に勃発寸前だった戦争を遅らせていた。

ミッテルランドの緑が茂る丘の向こうには、カルパチア山脈の険しい山々まで、広大な森の斜面がそびえていた。僕たちの左右には、午後の陽射しをいっぱいに浴びて、峰の影には深青色や紫色、草と岩が混じり合うところには緑色や茶色、また尖った岩や切り立った岩が果てしなく広がり、それらは雪の峰がそびえる彼方へと繋がり消えていた。あちこちの山に大きな裂け目があり、太陽が沈みはじめるとそこから時折、白く輝く水の流れが見えた。仲間の一人が僕の腕を突いた。丘のふもとをまわりこんで雪に覆われた高い山頂を見上げると、その頂は蛇行する道を曲がる僕たちの目前のように思われた。

「見ろ! あれはIsten szekだ!」──「神のおわすところだ!」──乗客の彼はそう言って、恭しく十字を切った。

僕たちが果てしなく続く道を進み、太陽が背後でどんどん沈んでいくにつれて、夕闇が周りに忍び寄ってきた。雪に覆われた山頂は、まだ夕焼けに照らされて繊細かつ冷やかなピンク色に輝いて見え、なおのこと周囲が暗く見えた。あちこちでチェコ人やスロバキア人とすれ違ったが、みんな風情のある服装で、しかし、誰も彼もが甲状腺をひどく腫らしていた。道端には多くの十字架があり、通り過ぎるときに乗客はみな十字を切った。あちこちで農民が祭壇の前にひざまずいており、僕たちが近づいても振り向かず、献身により外の世界への目も耳もないようだった。僕にとって目新しいものがたくさんあった。たとえば、木々の中に干草が積まれていた。あちこちに非常に美しいシラカバの塊があり、その白い幹が繊細な緑の葉の間から銀のように光っていた。時々、荷馬車の側を通り過ぎたが、その荷馬車の長い蛇のように曲がった支柱は、デコボコとした道に合わせて設計されていた。この荷馬車たちには、帰宅中の農民の一団が必ず座っていた。チェコ人は白、スロバキア人は色のついた羊の皮を被り、後者は斧がついた長い杖をランスのように持っていた。夕方になると寒くなり、夕暮れが樫やブナや松などの木々の暗がりを一つに溶けあわせてしまうようだった。しかしながら峠を登ると、尾根の間に深く続く谷に、残雪を背景にして黒っぽいモミの木があちこちに立っていた。時には、暗闇で迫りくるような松林を縫って道を進むと、あちこちで木々を彩る大きな闇の塊が、独特の、奇妙で厳粛な効果を生み出した。この情景は、夕暮れにカルパチア山脈間で連なって谷間を縫う幽霊めいた雲を、落日が奇妙に浮き彫りにしているときに、僕が想起した考えや暗い妄想を、再びもたらした。時には、あまりに急な坂道を通るので、御者が急いでも馬はゆっくりしか進めなかった。故郷のように馬車から降りて歩いて登りたいと思ったが、御者はそれを聞こうとしない。

「いやいや、ここは歩いてはいけないよ、野犬が獰猛だからね」

そう言うと、彼はどうやら皮肉な笑いを取るつもりで──他の人たちの笑いを受け止めようと周りを見回しながらこう言い添えた。

「そういうのは、寝る前に充分味わうことになるさ」

彼が唯一止まったのは、ランプに火をつけるための小休止だった。

暗くなると、乗客たちは動揺して次々と御者に話しかけ、まるで彼に加速を促すかのようだった。彼は長い鞭で容赦なく馬を鞭打ち、荒々しい叫び声を以て、馬にさらなる努力を促した。その時、前方の暗闇の中に、ぼんやりと光の斑のようなものが見え、まるで丘に裂け目があるようだった。乗客の動揺はさらに高まり、乗合馬車は大きな革製のバネの上で狂ったように跳ね、荒海に翻弄される船のように揺れた。僕はしがみつかなければならなかった。道はだんだん平坦になり、僕たちはまるで飛ぶように進んでいった。すると、山々が左右に迫り、僕たちを見下ろした。ボルゴ峠にさしかかったのだ。乗客の何人かが次々と僕に贈り物を差し出して、否応なく僕に押し付けた。それらはかなり奇妙かつ多様なものだったが、それぞれ純粋な誠意をもって、優しい言葉、祝福、そして僕がビストリッツのホテルの外で見た、恐怖を呼び起こす奇妙な仕草の組み合わせ──十字架を切る仕草と魔除けの仕草──を伴って与えられた。そうして僕たちが走っていると、御者が前方に身を乗り出し、両側の乗客が乗合馬車の縁から身を乗り出して、熱心に暗闇を覗き込みはじめた。何かとても興味深いことが起こっているか、あるいは興味深いことが期待されていることは明らかだったが、乗客に尋ねても誰も全く説明してくれない。このような興奮状態がしばらく続き、ついに目前である東側にボルゴ峠が見えてきた。頭上には黒雲がけぶり、空気中には雷の重苦しい気配が漂っている。まるで山脈が大気を二分しており、今は雷鳴のする方に入り込んでいるようだ。今は、僕を伯爵の元に連れて行ってくれる馬車を探しているところだ。一瞬一瞬、漆黒の闇の中に灯火の光が見えるかと思っても、結局は闇であった。唯一の光は、僕たちのランプのゆらめく光であり、懸命に駆けてきた馬からの蒸気がその光の中で白い雲となって立ち上っていた。目の前に白い砂道が見えるが、そこに馬車の姿はない。乗客は一様に喜びのため息をついて腰を下ろしたが、それは僕の落胆をあざ笑うかのようであった。どうしようかと考えていると、御者が時計を見て、他の人に何か言った。あまりに静かで低い声だったので、ほとんど聞き取れなかったが、おそらく《予定より一時間早い》と言ったのだろう。それから僕の方を向いて、僕より下手なドイツ語でこう言った。

「ここには馬車はない。けっきょく、旦那さんが来るってことを先方は予期してなかったんでしょう。これからブコビナへ行って、明日か明後日に戻るといい。明後日のほうがいいな」

御者が話している間に、馬がいななき、鼻息を荒くし、暴れだしたので、御者が馬を押さえなければならなかった。すると、農民たちからさざめく悲鳴が起こり、彼らが一斉に十字を切る中、四頭の馬が引く小型馬車が僕たちの後ろから走ってきて追い越し、僕たちの乗合馬車の横に停まった。ランプの光が馬に当たったとき、その馬が黒炭のような立派な馬だとわかった。御者は長身の男で、茶色の長い髭を生やし、大きな黒い帽子をかぶっていて、顔を隠しているように見受けられた。視認できたのは、彼が僕たちを向いたときにランプの光に照らされて赤く見えた、一対の非常に明るい目の輝きだけだった。

「友よ、今夜はお早いですね」と彼は御者に言った。

「英国人の旦那が急いでいてね」

御者は口ごもりながら応じた。すると見知らぬ男は答えた。

「だから彼にブコビナまで行って欲しかったのだとでも。我が友よ、私を欺くことはできませんよ。私は多くを知っていますし、私の馬は速いのですから」彼は微笑みながらそう言った。ランプの光が、非常に赤い唇と象牙のように白い鋭い歯を持つ、厳格そうな口元を照らした。仲間の一人が別の人に、ビュルガーの『レノーレ』の一節をささやいた。

「denn die Todten reiten schnell」

(「死者は速やかに旅するから」)

その言葉を聞いたのか、奇妙な御者はぎらりとした笑顔でそちらを見上げ、乗客は顔を背けて二本の指を出し、十字を切った。

「旦那様のお荷物を」

その男が言い、僕の荷物は非常に素早く手渡され、小型馬車の中に入れられた。小型馬車がすぐそばまで来ていたので、乗合馬車の横から乗り移った。その御者は僕を引き上げるため、僕の腕を強く掴んでいた。彼の力は間違いなく驚異的だった。彼は一言もなく手綱を振り、小型馬車は向きを変え、僕たちは峠の暗闇に飛び込んでいった。振り返ると、ランプの光に照らされた乗合馬車の馬の蒸気が見え、それに照らされたように立ち別れた仲間たちが十字を切る姿が見えた。乗合馬車の御者が鞭を打って馬に声をかけると、乗合馬車はブコビナへ向かって走り去っていった。

彼らが暗闇に吸い込まれていくにつれ、奇妙な寒気を感じ、孤独感に襲われた。しかし、御者は僕の肩にマントを、膝には膝掛けをかけると、見事なドイツ語でこう言った。

「旦那様、夜は冷えます。主人である伯爵様にあなたの世話を命じられました。座席の下にスリヴォヴィッツ(この国のプラムブランデーだ)の瓶がございますから、必要でしたらどうぞ」

僕は何も飲まなかったが、瓶がそこにあると知って、安心した。少し奇妙に感じ、かなり怯えていた。もし僕に他の選択肢があったなら、こうして未知の夜の旅を続ける代わりに、それを選んだだろう。馬車は猛速で直進し、やがて一転して別の直線道路に出た。同じところを何度も通っているような気がしたので、要所要所を覚書すると、実際そうだということがわかった。御者に《これはどういうことなのか》と聞きたいところだが、このような状況において馬車の進行を遅らせる意図があるとすれば、どんな抗議も効果がないだろうと思い、質問できなかった。しかし時間の経過を知りたくなって、マッチを焚き、その炎で時計を見ると、真夜中まであと数分だった。真夜中に対する迷信が最近の経験を通して強まっていたのか、一種の衝撃を受けた。僕は不安な気持ちで待ち続けた。

そのとき、道のずっと奥にある農家のどこかで一匹の犬が吠えはじめた。まるで恐怖に唆されたような、長く苦しげな泣き声だ。その声は別の犬にも伝わり、さらに別の犬にも伝わり、やがて峠を吹き抜けるそよ風に乗って、夜の暗がりの中、想像力の及ぶ限りのあらゆる場所から聞こえてくるような荒々しい遠吠えが始まった。最初の遠吠えで馬は怯え、後ろ足立ちになり、御者がなだめるように話しかけると静かになった。しかし、突然の恐怖から逃げ出した後のように震えながら汗をかいた。そして、遠く離れた僕たちの両側の山から、より大きく鋭い遠吠え──オオカミの遠吠え──が始まり、僕も馬も同じように影響を受けた。小型馬車から飛び降りて逃げようとすら思ったが、馬が再び立ち上がって狂ったように跳ね回り、御者は馬が暴走しないように渾身の力を振り絞らなければならなかった。しかし、数分後には僕の耳は遠吠えに慣れ、馬もすっかり静かになったので、御者は降りて馬の前に立てるようになった。彼は馬を撫でてなだめ、以前馬飼いがそうすると聞いたようなやり方で馬の耳元で何かささやいたが、それは驚異的な影響を馬達に与え、震えは残るが御しやすくなった。御者は再び席に着くと、手綱を振って大急ぎで走り出した。今度は峠の向こう側まで行ったところで、彼は突然、右に急旋回する狭い道に入った。

やがて僕たちは木々に囲まれた。その木々はほうぼうで道の上にアーチを描いており、トンネルを通るようだった。加えて、大きな岩が両側から僕たちを厳かに守っていた。僕たちが通り過ぎる間、岩の間を風がうめきながら通り抜け、木々の枝が激しく揺れた。冷え込みにつれて細かい粉雪が降り始め、やがて僕たちも周りも雪化粧に覆われた。風が吹くと、運ばれてくる犬たちの遠吠えも次第に小さくなっていく。オオカミの鳴き声はますます近くなり、まるで四方から僕たちに迫ってくるかのようだった。僕はひどく怖くなり、馬たちも僕の恐怖を分かち合った。一方御者は全く動じず、しきりに左右を気にしていたが、僕には暗くて何も見えなかった。

突然、左手側にかすかな青い炎が見えた。御者もそれを見て、ただちに馬を止めて地面に飛び降り、暗闇の中に消えていった。オオカミの遠吠えが近づくにつれ、どうすべきかわからなくなったが、悩んでいると突然御者が現れ、何も言わずに御者台に着き、旅を再開した。この延々と繰り返された出来事は、今思うと恐ろしい悪夢のようだから、もしかしたら眠ってしまっていたのかもしれない。一度だけ、炎が道のすぐそばに現れたことがあり、暗がりの中でも御者の動きを視認できた。彼は青い炎が出たところにすばやく行き──周囲をまったく照らしていないよう見受けられたので、非常に微弱な光だったのだろう──数個の石を集めて何かの仕掛けを作り上げた。そのとき、不思議な光学的効果が現れた。彼が僕と炎の間に立っても、彼の体は炎を妨げることはなく、幽霊のような炎の揺らぎはずっと視認できたのだ。驚いたが、一瞬のことだったので、暗闇で目を凝らしていたのが災いしたのだろう。それからしばらくは青い炎もなく、暗闇の中を円をかくように囲んでいるオオカミの遠吠えを聞きながら、進んでいった。

やがて、御者がこれまでよりも遠くへ歩いていってしまった。御者がいない間に馬はこれまでよりもひどく震え、怯えで鼻を鳴らして喚き始めた。オオカミの遠吠えはすっかり止んでいたので怯えの原因はわからなかった。ちょうどその時、松に覆われた甲高い岩のギザギザの頂の向こうに、黒い雲の間を縫って月が現れた。その光を受けて、白い歯を持ち、赤い舌を出し、長い筋張った手足とボサボサの毛をしたオオカミが周りに輪を作っているのが見えた。オオカミたちは、その不気味な沈黙により、吠えているときよりも百倍も恐ろしい存在となった。僕は恐怖で硬直していた。人はこのような恐怖に直面したとき、恐怖の本質を理解できるのだ。

月明かりが彼らに何か特別な影響を及ぼしたかのように、一斉にオオカミが吠えはじめた。馬は飛び跳ね、後ろ足立ちになり、見るからに痛ましく目を剥いたが、恐怖の輪が四方を取り囲んでおり、馬はその中に留まらざるを得なかった。僕は御者に戻ってくるよう呼びかけた。僕と馬が生き残る唯一の筋道は、オオカミの輪を破って彼が馬車へ接近するのを助けることだと思ったからだ。僕は叫びながら小型馬車の側面を叩いて、その音でオオカミを怖がらせて、彼が馬車に到達する隙を得ようとした。どのようにして戻ったのかは分からないが、威圧的な命令口調の声が聞こえ、その音の方を見ると、御者が道に立っているのが見えた。彼が長い腕を振って、何か得体の知れない障害物を払いのけるようにすると、オオカミは後ずさりして、その後さらに後ずさりした。その時、重い雲が月の表を横切り、僕たちは暗闇の中に戻った。

僕が再び見ると、御者は小型馬車に乗り込み、オオカミは姿を消していた。あまりに奇妙で不気味な出来事だったので、恐ろしい恐怖に襲われ、声を出すのも動くのもためらわれた。馬車が進み始め、月が雲に隠れてほとんど見えない真っ暗な中、時間が無限に続くように思えた。時折、一気に下り坂を進むこともあったが、基本的には上り坂であった。ふと気がつくと、御者は荒廃した巨大な城の中庭に馬を寄せていた。高く黒い窓からは一筋の光も漏れ出でず、壊れた城壁が月明かりの空に鋭利な線を描いていた。

ジョナサン・ハーカーの日記(続き)

五月五日

もし僕が完全に目覚めていたなら、この驚くべき場所の接近に気づいたに違いないので、寝てしまっていたのだろう。暗がりの中で、中庭は相当に大きく見えた。大きな丸いアーチの下からいくつかの暗い道が続いていたから実際より大きく見えたのかもしれない。この建築を昼間に見る機会は、まだ得ていないのだが。

小型馬車が止まると、御者は馬車から飛び降りて僕に手を差し出し、僕が降りるのを手伝ってくれた。このときにも、彼の驚異的な力を感じざるを得なかった。その手はまるで鋼鉄の万力のようで、その気になれば僕の手を握りつぶしてしまいそうだった。それから彼は僕の荷物を取り出して傍の地面に置いた。そして僕は、古い鉄の大釘が打ち付けられた、突出した石造りの奥にある大扉の近くに立った。薄暗い中でも、この石には巨大な彫刻が施されており、その彫刻は経年と風雨でひどく劣化しているとわかった。僕が立っていると、御者は再び馬車に飛び乗って手綱を振り、馬が前進して、暗い通路の中に馬車も何もかもすべて消えていった。

どうすべきかわからず、沈黙のうちに立ちつくした。呼び鈴やノッカーはない様子だった。この厳めしい壁と暗い窓を通して僕の声が伝わることはないだろう。待ち時間が果てしなく長く感じられ、疑問と恐怖が押し寄せてきた。僕はどんな場所に来て、どんな人たちの所にいるのだろう。どんな過酷な冒険の旅に乗り出したのだろう。これは、外国人にロンドンの不動産購入の説明をするために送り出された事務弁護士秘書の人生において、よくある出来事なのだろうか。事務弁護士秘書?! ミナは、そんな肩書は嫌がるだろう。ロンドンを発つ直前、試験合格の一報を受け、晴れて事務弁護士となったのだから、事務弁護士と書くべきだった。僕は目をこすり、自身をつねって目が覚めているか確かめはじめた。すべてが悪夢のように思えたため、今にも目を覚まして、自分が家におり、過労日の翌朝によくあるように、夜明けの陽射しを窓から受けていることに気づくだろうと思いはじめたのだ。しかし、僕の肉体はつねりに応え、僕は現実と対峙した。僕は、カルパチア山脈の中で、確かに目を覚ましていたのだ。今できることは、忍耐強く、朝の訪れを待つことだ。

この結論に達したとき、大扉の向こうから重い足音が聞こえ、扉の隙間から光が差し込むのが見えた。そして、ガチャガチャと鎖の音がして、巨大な閂が引き抜かれる音がした。長らく使われていなかったような耳障りで大きな音とともに鍵が回され、大扉が引かれた。

その中には、長く白い口髭を残して髭を剃り、頭から足先まで黒ずくめで、他に色味がない、背の高い老人が立っていた。老人の手には古風な銀のランプが握られていたが、その炎を覆う火屋も傘もなく、開いた扉の隙間風に揺らめきながら長く震える影を投げかけていた。老人は僕を右手で礼儀正しく招き入れ、素晴らしい英語で、しかし奇妙な抑揚で言った。

「ようこそ、我が家へ! ご自由に、ご自分の意志でお入りなさい!」

彼は僕と対面するために足を運ぼうとはせず、まるで歓迎の仕草が彼を石に変えてしまったかのように、彫像の如く立っていた。しかし、僕が敷居を跨いだ瞬間、即座に彼は前に進み、手を差し出して僕を怯ませる強さで僕の手をつかんだ。その手が氷のように冷たいという事実が更に僕を怯ませた──生者よりも死者の手のようだ。彼は再び言った。

「私の家へようこそ。ご自由に出入りしてください。そして、貴殿がもたらすだろう幸福の一部を残していってください!」

その握手の強さは、顔を見たことのない御者に対して僕が気づいた特徴とあまりに似ていたので、一瞬、僕が話している相手と御者が同一人物ではないのかと疑ってしまった。だから念のため、質問するように言った。

「ドラキュラ伯爵ですか」

彼は礼儀正しくお辞儀をして、こう答えた。

「私はドラキュラです。ハーカーさん、ようこそ我が家へ。夜の空気は冷たいので、食事と休息が入用でしょう」

彼はランプを壁のブラケットに置き、外に出て、いつのまにか僕の荷物を持って入ってきた。止めようとしたが、彼はこう言った。

「いえ、貴殿は私の客人です。もう遅いので使用人もいない。お手伝いさせてください」

彼は、荷物を廊下中ずっと運ぶと言ってきかず、廊下の次は大きな螺旋階段を登り、その後は別の大きな廊下に沿って進んだ。その廊下の石の床で、僕たちの足音は重く鳴った。そして最後に重い扉を開けると、明るい部屋の中のテーブルに夕食の用意がされ、大きな暖炉の上には補充されたばかりの薪の大きな火が燃え盛るのが見え、嬉しくなった。

伯爵は立ち止まって荷物を置いて、入ってきた扉を閉めた。伯爵が部屋を横切って別の扉を開けると、ランプが一つ灯る、窓のない小さな八角形の部屋に入った。彼はこの部屋も通り抜けて再び別の扉を開け、僕に入るよう合図した。それは嬉しい光景だった。そこには大きな寝室があり、よく照らされ、また別の薪の炎で暖められていた──この薪も最近加えられたものだが、上の薪は新鮮だったので先ほどの暖炉より後に追加したのだろう──その薪は広い煙突の上の空洞に轟音を送っていた。伯爵は荷物を中に置き、扉を閉める前にこう言って引き下がった。

「旅路の後は、身支度をしてすっきりする必要があるでしょう。お望みのものはすべて見つかるかと存じます。準備ができたら、もう一つの部屋へお越しください、そちらで夕食をお召し上がりいただけましょう」

光と暖かさ、そして伯爵の丁重な歓迎は、僕の疑念と恐怖をすべて解消してくれたようだった。そして平素の状態になった僕は、自分が空腹だと気づいて、急いで身支度をしてもう一つの部屋に入った。

すると、すでに夕飯が用意されていた。伯爵は、大きな暖炉の片側に立って、石造りに寄りかかり、優雅な手の一振りでテーブルを指して言った。

「どうぞ席について、お好きにお召し上がりください。ご一緒せずに申し訳ない。私はもう夕食は済ませましたし、晩食を食べないたちなのでご一緒しません」

ホーキンスさんから預かった封書を彼に渡した。彼はそれを開いて注意深く読み、それから魅力的な微笑みを浮かべて、僕に読むようにと手渡した。少なくともその中の一節は、僕に喜びを与えてくれた。

「私は痛風に苦しんでおり、今後しばらくは旅行ができません。しかし幸いなことに代わりの者を送ることができます。彼は私があらゆる面で信頼している者です。若い青年で、彼特有の活力と才能に溢れ、非常に誠実な性格の持ち主です。慎重で物静かな性格で、私の下で立派に成長した彼は、滞在中あなたのご希望があればいつでもお供しますし、すべての事柄についてあなたの指示を仰ぎます」

伯爵は自ら進み出て皿の蓋を取り、僕はすぐさま素晴らしいローストチキンにかぶりついた。これにチーズとサラダ、そして古いトカイワインを二杯飲んで、夕食とした。食べている間、伯爵は旅についていろいろと質問してきたので、自分が経験したことを少しずつ全て話した。

その後、晩餐を終え、家の主人の希望で暖炉のそばの椅子に座り、主人が差し出したタバコを吸い始めたが、彼は自分は吸わないのだと弁解していた。そこで彼を観察する機会を得て、彼は非常に特徴的な顔立ちをしていると分かった。

彼は非常に秀でた鷲鼻で、細い鼻梁が高く聳え、鼻孔が独特の弧を描いている。額は秀でている。全体の頭髪量は多いが、こめかみのあたりにはほとんど生えていない。眉毛は長く、ほとんど鼻の上で繋がるようですらあり、毛がカールして見える。口は、重い口ひげの下から見える限り、毅然としており、むしろ残酷な様子ですらあり、奇妙に鋭い白い歯がある。この歯は唇の上に突き出ており、その唇の著しい赤みが、彼の年齢の男性にしては驚くべき活力を見せていた。そのほか、耳は青白く、先端が極端に尖っている。顎周りの輪郭が頑丈で、頬はしっかりとしているがこけている。全体として、異常なまでの蒼白さだ。

それまで暖炉の明かりで、彼の膝にある手の甲が白いのには気づいていた。しかし間近に見て、その指が白いだけでなく、太くて曲がっていることに気づかざるを得なかった。不思議なことに、掌の中心部には毛が生えていた。爪は長く立派で、鋭く切ってあった。伯爵が僕の近くに身を乗り出し、その手が僕に触れたとき、震えを抑えることができなかった。伯爵の息が臭いせいかもしれないが、恐ろしい吐き気が襲ってきて、どうにもこうにも隠しきれなかった。伯爵は明らかにそれに気づいた様子で、身を引くと、突き出た歯をこれでもかと見せる不気味な笑みを浮かべて、再び暖炉の自らの側に腰を下ろした。しばらく二人とも黙っていた。僕が窓の方を見ると、夜明けの最初の光の一筋がぼんやりと見えた。静寂が訪れた。しかし、僕が耳を傾けると、まるで谷の下の方から聞こえるように、たくさんのオオカミの遠吠えが聞こえてきた。伯爵は目を輝かせて言った。

「夜の子供たちの声をお聞きなさい。彼らはなんという音楽を奏でるのでしょう」

僕が不思議そうな表情をしているのを見て、彼はさらに言った。

「ああ、貴殿のような都会人には、狩人の気持ちは分かりませんね」

そして立ち上がり、こう言った。

「どうやらお疲れのご様子。貴殿の寝室は整っておりますから、明日はよくお休みになってください。私は午後まで留守にせねばなりません。なので、よく眠り、よく夢を見てください!」

彼が丁寧なお辞儀をして八角形の部屋の扉を開けてくれたので、僕は寝室に入った。

僕はすっかり驚愕していた。疑いを持ち、恐れをなし、自分の魂にも告げられないような奇妙なことを考えてしまう。神様、僕の愛する人々のために、僕をお守りください!

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