第十九章

ジョナサン・ハーカーの日記

十月一日午前五時

ミナがこれほどまでに力強く、元気な姿は見たことがなかったので、安心して一行と捜索に向かった。彼女が身をひいて、僕たち男性に任務を任せてくれたことが本当に嬉しかった。彼女がこのように恐ろしい任務に携わっているのが心配だったのだ。審らかに事件の全容がまとめられたのは、彼女の努力と頭脳と先見の明のおかげだ。それが終わった今、彼女は自分の役割は終わったと感じ、これからは残りを僕たちに任せてもよいと思ったのかもしれない。僕たちは皆、レンフィールド氏との一件で、少し動揺していたように思われる。僕たちは、彼の部屋から出たあと、書斎に戻るまで黙っていた。書斎にて、モリス氏がスワード博士にこう言った。

「ジャック、もしあの男がはったりをかましたんでないなら、今まで見たことのある中でいっとう正気の狂人だぜ。よくわからねえが、何か重大な目的があったんだろうさ。そうだとしたら、機を逃したのはかなり辛いだろうな」

ゴダルミング卿と僕は黙っていたが、ヴァン・ヘルシング博士がこう言い添えた。

「ジョン君、君は私より狂人のことをよく知っている。もし私が決めたとしたら、最後のヒステリーを起こす前に彼を自由にしていただろうと思うから、君が専門家で嬉しいよ。それに、我々は生涯学び続け賢くなる生き物だ。我々の今の仕事は、クインシー君流に言うと、賭けに出てはならない。全て、今の状態が最善だ」

スワード博士は、どこか上の空で二人に答えた。

「そのご意見に同意できるか分かりません。相手が普通の狂人であったなら、思い切って信用したでしょうね。でも、彼は伯爵と指数関数的に関わっているように見えるので、彼のこだわりに協力することで何か悪いことをしていないか心配になったんです。彼が猫のためにほとんど同じ熱意で懇願した後、その歯で僕の喉を引き裂こうとしたことが忘れられないので。それに、彼は伯爵を《大いなる君主》と呼んでいました。何か悪辣な方法で伯爵を助けるために出て行きたいのかもしれません。あの恐ろしい怪物にはオオカミやネズミや同類の仲間がついているのだから、立派な狂人を利用するのもやぶさかではないのでしょう。確かに彼は真剣なようでしたが。あの決断で、最善を尽くしたと願うばかりです。こういう出来事には、僕たちが手がけている恐ろしい仕事と相まって、不安にさせられますね」

教授は歩み寄り、スワード博士の肩に手を置いて、重々しくも優しくこう言った。

「ジョン君、心配することはない。とても悲しくて恐ろしい任務で自らの責務を果たそうとしている我々にできることは、最善と考えることを果たすことのみだ。神の憐れみ以外に、何かが望めるとでも?」

数分ほど席を外していたゴダルミング卿が戻ってきた。彼は小さな銀の笛を手に取りつつ、こう言った。

「あの古い建物はネズミでいっぱいかもしれない、もしそうなら対策を用意してある」

塀を乗り越え、月明かりが射しているときには芝生の木々の影に入るよう気をつけながら、僕たちは家に向かって歩いた。玄関に着くと、教授は鞄を開けてたくさんのものを取り出し、それを階段に並べて、小さく四つに仕分けした。そして、彼はこう言った。

「友よ、我々はこれから恐ろしい危機に直面するのだから、色々な武器が必要だ。我々の敵は単に霊的な力を持つだけではないのだ。彼に二十人分の力があるのを忘れてはならない。そして、我々の首や気管は普通のものであり──したがって折ったり砕いたりできるが──彼はただの力では挫けないのだ。彼より強い男一人、あるいは彼よりすべてにおいて強い男の集団であれば、時として押さえられるだろう。しかし強い男の集団であっても、彼が我々を傷つけられるのと同様には、彼を傷つけられないのだ。よって、彼の手から身を守らねばならない。これを心臓のあたりにかけておきなさい」──そう言うと、彼は小さな銀の十字架を持ち上げて、一番近くにいた僕に差し出した。

「この花を首にかけなさい」──ここで彼は枯れたニンニクの花の花輪を僕に渡した。

「もっとありふれた他の敵にはこのリボルバーとこのナイフを、そしてあらゆる面での助けとして、胸に留めておけるこのとても小さな電気ランプを。そしてとりわけ最後に、すべてのために、無用に冒とくしてはならないこれを」

それは聖餅の一部であり、彼はそれを封筒に入れて僕に手渡した。他の人たちもそれぞれ同じような装備をした。

「さて」と教授は言った。「ジョン君、合鍵はどこだね。合鍵があれば扉を開けられるし、以前にルーシー嬢宅でしたように、窓から侵入しなくて済む」

スワード博士が外科医としての技師的な手際の良さを生かして、合鍵を一つ、二つと試した。やがて、彼がそのうちの一つを選び出し、前後に少し動かしてみると、錆びた音とともに錠が外れた。僕たちが扉を押すと、錆びた蝶番がきしみ、ゆっくりと扉が開いた。スワード博士の日記にあるウェステンラ嬢の墓が開くときの様子と驚くほど似ている。他の人たちも同じように思ったのか、一様に身を引いた。教授は真っ先に前に進み、開いた扉から足を踏み入れた。

「神よ、汝の手に委ねよう【訳注:ラテン語。In manus tuas, Domine!】」

そう言いながら十字を切り、教授は敷居をまたいだ。僕たちは通った後に扉を閉め、ランプを灯した時に外の道路から注意を引くといけないので、扉を閉めた。脱出を急ぐ羽目になったとき中から開けられるよう、教授は慎重に鍵を試した。そして、全員がランプを灯して探索を進めた。

小さなランプの光は、光線が交差したり、人影が大きくなったりしたことで、さまざまな奇妙な形を作り出した。僕たちの中に他の誰かがいるような感覚が、どうしても払拭できなかった。トランシルヴァニアでの恐ろしい体験が、この恐ろしい環境で、強烈に思い出されたからだろう。この感覚は皆に共通するものだったようだ。他の人たちも僕と同じく、音がするたび、新しい影ができるたび、しきりに肩越しに振り向いているのに気づいたからだ。

家の全体が埃で汚れていた。床は、最近の足跡があるところ以外は、数インチの深さのほこりがあった。ランプを下げてみると、埃がないところに靴底の鋲釘の痕が残っていた。壁は埃で柔らかくも重く覆われ、隅には蜘蛛の巣が大量にあった。蜘蛛の巣は埃が集まって重みで一部破れ、古ぼけたぼろ布のようになっていた。広間のテーブルの上に、大きな鍵の束があり、それぞれに経年で黄ばんだラベルが貼られていた。教授が鍵を持ち上げた時に残った痕跡は、テーブルの上の埃にあった痕跡と似ていたので、何回か使われたものなのだろう。彼は僕に向って言った。

「ジョナサン、この場所を知っているね。君はこの場所の地図の複写を持っているのだし、少なくとも我々よりは知っているはずだ。礼拝堂への経路はどちらかな」

以前訪れたときに立ち入れなかったものの、方向の見当はついていた。なので道案内をし、何度か道を間違えつつも、鉄の帯で縁取られた低いアーチ型のオーク材の扉の前に出た。

「ここだ」

教授はそう言いながら、購入に関する僕の手紙の原本から複写した、この家の小さな地図にランプをともした。鍵の束から鍵を見つけるのに手間取ったが、鍵で扉を開けた。扉を開けると、隙間からかすかな悪臭が漂ってきたのだが、多少の不快感は覚悟していたものの、これほどの臭いに遭遇するとは誰も予想していなかった。他の人は伯爵と近くで会ったことがないし、僕としても、伯爵が断食していた時に自室で会ったのと、新鮮な血を貪っていたものの外気に開かれた廃墟の建物にいたときのみだった。しかしここは狭くて小さな空間である上に、長く使われておらず空気が淀んで汚くなっていた。その穢れた空気から、気化したガスのような臭いに乗って、土の臭いが漂ってきた。さて、その臭いをどう表現したらよいのだろう。その匂いは、死をもたらす病魔と、刺激的な血の臭いとで構成されているだけでなく、腐敗そのものが腐敗しているかのような臭いだった。ふう! 考えると気分が悪くなる。あの怪物の吐息がすべてこの場所にまとわりつき、その不快感を増大させているようだった。

普通の状況であれば、あのような悪臭は僕たちの試みを終わらせただろう。しかし、普通の状況ではなかった。僕たちが関与する崇高で恐ろしい目的が、単に物理的な事柄を超えた力を与えたのだ。最初の吐き気をもよおす匂いに思わず萎縮した後、僕たちは皆、この忌まわしい場所がバラ園であるかのように仕事に取り掛かった。

僕たちはその場所を正確に調査した。調査を始めるに当たって教授はこう言った。

「まず、箱がいくつ残っているかを確認したあと、全ての穴や隅々まで調べて残りの箱がどうなっているのかの手がかりを何かつかまなければならない」

一目見ただけで、あと何箱残っているかわかる。大きな土の箱はかさばるし、見間違うことはないからだ。

五十個のうち、二十九個しか残っていない! ゴダルミング卿が突然振り返って、アーチ状の扉の向こうの暗い通路を見たので、僕も釣られて見てしまい、一瞬心臓が止まりそうになった。伯爵の邪悪な表情、鼻筋、赤い目、赤い唇、恐ろしく青白い顔が、闇からこちらを見つめているのが浮かび上がって見えた気がしたのだ。ゴダルミング卿が「顔を見た気がしたが、ただの影だったな」と言ったように、一瞬のことであった。ゴダルミング卿はそのまま調査を再開したので、僕はランプをその方向に向け、通路に足を踏み入れた。人の気配はない。通路には曲がり角も扉も開口部もなく、堅固な壁があるだけなので、伯爵であっても隠れ場所はないはずだ。恐怖が想像力を増長させたのだと思い、僕は何も言わなかった。

数分後、調査していた一角からモリスが急に後ろに下がるのが見えた。緊張が高まっていた僕たちが、モリスの動きを目で追うと、星のようにきらめく燐光の塊が見えた。僕たちは皆、本能的に引き下がった。その場はネズミで一面覆われたのだ。

僕たちはしばし呆然と立ち尽くしたが、ゴダルミング卿はこのような非常事態に備えていたようだった。スワード博士が外観を描写していた、さらには僕自身も見たことがあった、鉄枠付きのオーク材の大きな扉に、ゴダルミング卿は駆け寄って鍵を回し、大きな閂を引いて扉を開けた。そして、ポケットから小さな銀の笛を取り出して、低く鋭い音を鳴らした。スワード博士の家の裏から犬の鳴き声が返ってきて、一分ほどして三頭のテリアが家の角を曲がって飛び出してきた。僕たちは無意識のうちに扉の方に移動していた。移動しながら、埃がかなり乱れていることに気づいた。持ち出された箱はこちら側へ運ばれてきたのだ。しかし、その一分間にもネズミの数は大幅に増えていた。ネズミはいっせいに群がり、ランプの光が彼らの動く黒ずんだ体とギラついた気味の悪い目を照らして、まるでホタルのいる土手のようだった。犬たちは飛んできたが、敷居のところで突然止まって唸り、それから一斉に鼻先を上げて、非常に物悲しい吠え方をしはじめた。ネズミが何千匹にも増えてきたので、僕たちは外に出た。

ゴダルミング卿は犬を一匹持ち上げて家に入れ、床の上に置いた。その足が床に着いた瞬間、犬は勇気を取り戻したかのように、天敵に向かって突進した。犬が数匹の命を奪う前に、ネズミは彼の前から素早く逃げ出した。同じように持ち上げられた他の犬たちは、集団が消え去る前に少しの獲物を手に入れただけであった。

ネズミ去りし後は、まるで邪悪な存在が去ったかのようだった。犬たちは飛び回り、陽気に吠えながら、伏した敵に突然飛びかかり、ひっくり返したり、激しく揺さぶりながら空中に放り投げたりした。僕たちは皆、気分が高揚した。礼拝堂の扉を開けたことで恐ろしい空気が浄化されたのか、ひらけた場所にいることで安心したのかはわからない。恐怖の陰りが衣のように滑り落ちたのは確かだ。僕たちの訪問の厳粛さは薄れたが、決意は少しも緩むことがなかった。僕たちは外側の扉を閉め、閂をかけて鍵をかけ、犬を連れて家の中の探索を始めた。埃が異常に多く、僕が初めて訪問した時の足跡が残っている以外には、全体的に何も見つからなかった。犬たちは一度も不安なそぶりを見せず、礼拝堂に戻ってからも、まるで夏の森のウサギ狩りのように、元気に走り回っていた。

正面から出たとき、東の空は急速に朝を迎えていた。ヴァン・ヘルシング博士が束から玄関の鍵を取り出して、通常のやり方で鍵をかけ、鍵をポケットに入れた。

「さて」と彼は言った。「今夜は大成功だ。私が恐れていたような危害は我々に及んでいないし、いくつの箱が無くなっているのかも確認できた。何よりも嬉しいのは、私たちの最初の──そしておそらく最も困難で危険な──この一歩が、私たちの最もいとしいミナ奥様を巻き込まず、決して忘れることのできない恐怖の光景や音や匂いでミナ奥様の目覚めや眠りを煩わせることなしに達成されたことだ。また、もし特別に論じることが許されるなら、我々は一つの教訓を学んだ。伯爵の指揮下にある獣でも、伯爵の霊的な力には従わないということだ。ほら、ネズミたちは伯爵の呼びかけにやって来た。ちょうど彼の城上からオオカミたちを呼び出して、君の行く先や哀れな母親の叫びに向かわせたように、ネズミたちは彼のもとにやって来たものの、アーサー君のとても小さな犬から逃げ去ってしまったのだ。我々の前には別の問題、別の危険、別の恐怖がある。あの怪物が獣に関する力を使わないなんてことは、今夜だけ、あるいは今夜が最後だろうな。彼は別の場所に行ったのだ。よかった! 人類の魂を賭けてプレイしているこのチェスゲームで《チェック》と叫ぶ機会を与えてくれたのだ。さあ、帰ろう。夜明けは間近であり、最初の夜の仕事に満足する理由もある。この先、危険な夜と昼が続く定めかもしれない。しかし、我々は前進しなければならないし、危険から逃げるわけにはいかないのだよ」

僕たちが戻ってきたとき、遠くの病室の一つで叫んでいる哀れな生命と、レンフィールドの部屋から聞こえる低いうめき声を除いて、家は静まり返っていた。哀れなレンフィールドは、狂人がやるように、不必要な苦悩で自らを苦しめているのだろう。

僕はつま先立ちで自分たちの部屋に入り、ミナが眠っているのを見つけた。耳を近づけなくては聞こえないほど小さな息づかいをしていた。いつもより顔色が白い。今夜の会議が、彼女を動揺させたのでなければいいのだが。彼女が、僕たちの将来の仕事や、さらには僕たちの会議から外れることになったことを、心から感謝している。女性には負担が大きすぎる。最初はそう思わなかったが、今はよく分かる。なので、この件が決まってよかった。彼女が聞いたら怖がるようなこともあるだろう。しかし、隠し事があるとばれている以上、彼女に秘匿することは、彼女に話すよりも悪いことかもしれない。これから先、僕たちの仕事は彼女にとって封印された書物のようなものだ。少なくとも、全てが完了し、地球が地獄の怪物から解放されたと彼女に伝えられるまでは。僕たちのような誓いを経た後、沈黙を守るのは難しいだろう。しかし明日、断固として、今夜の出来事のことは秘密にし、起こったことは何も語らないことにする。彼女の邪魔をしないように、ソファで休むこととする。

十月一日、その後

昼は忙しく、夜は全く休めなかったのだから、全員が寝坊したのは当然のことだろう。ミナもその疲れを感じたのかもしれない。僕は日が高くなるまで寝ていたにも関わらず、彼女より先に目が覚めてしまい、彼女が起きるまでに二、三度呼ばなければならなかった。彼女はあまりにも熟睡していて、起きて数秒間は僕を認識できず、悪い夢から覚めた人のような空虚な恐怖と共に僕を見つめた。彼女が疲れを少し訴えたので、その日は遅くまで休ませた。今、僕たちは二十一個の箱が運び出されたことを知っている。運び出されたのであれば、すべて突き止められるかもしれない。そうすれば当然、僕たちの為すべき事は非常に単純化されるし、早く対処すればするほどよいだろう。今日、トーマス・スネリングに会いに行くつもりだ。

スワード博士の日記

十月一日

正午頃、教授が部屋に入ってきたので目を覚ました。彼はいつも以上に陽気で明るく、昨夜の仕事が心の重荷を取り除いたことは明らかだった。一晩の冒険を振り返った後、彼は突然こう言った。

「君の患者にとても興味がある。今朝、君と一緒に訪ねてもいいかね。もし君が忙しいなら、私だけで行っても構わない。哲学を語り、理性を持った狂人と会うのは、初めての経験だ」

僕は急ぎの仕事があったので、一人で行ってくださるならお待たせせず済むので喜ばしいと言った。そして世話人を呼んで、必要な指示を出した。教授が部屋を出る前に、患者から間違った印象を受けないように注意した。

「しかしだね」と彼は答えた。「彼自身について、そして生命を食べる妄想について、彼に話して欲しいのだ。昨日の君の日記にあるように、彼はミナ奥様に、かつてそのような信念を持っていたと発言した。ジョン君、なぜ笑うんだね」

「失礼しました」と僕は言った。「でも、その問いの答えはここにあるんです」僕はタイプ書きされた書類に手を置いた。「この正気と学識のある狂人が、いかにかつて生命を消費していたかを発言したまさにそのとき、彼の口はハーカー夫人の入室直前に食べたハエやクモで吐き気を催していたんですよ」

ヴァン・ヘルシングは微笑み返した。

「さすがだ!」と彼は言った。「ジョン君、君の記憶通りだ。私も思い出すべきだった。しかし、このような思考と記憶の不一致があるからこそ、精神疾患は魅力的な研究対象なのだ。この狂人の愚行から、賢者の教えよりも多くの知識を得られるかもしれない。どうだろうか」

僕は自分の仕事を続け、間もなく手持ちの仕事をやり切った。とても短時間に感じられたが、書斎にヴァン・ヘルシングが戻ってきた。

「お邪魔かな」

彼は扉の前に立つと、礼儀正しく尋ねた。

「とんでもないです」と僕は答えた。「お入りを。仕事が終わったので、時間ができたところです。もし必要があればお供しますよ」

「その必要はない、彼に会ってきた!」

「それで、いかがでしたか」

「彼は私をあまり評価していないようだ。やり取りは短かった。部屋に入ると、彼は中央の椅子に座って膝に肘をついており、その表情は苦々しく、不機嫌を絵にしたようだった。できるだけ明るく、できる限りの敬意をもって彼に話しかけた。しかし、何も答えない。《私をご存知ないかな》と尋ねた。その答えは安心できるものではなかった。《あなたのことはよく知っている。あなたは愚かな老人ヴァン・ヘルシングだ。そのバカな脳味噌の理論と一緒に、どこか他所に持っていってほしいものだな。うすのろオランダ人はみな呪われろ!》彼はそれ以上一言も発さず、まるで私が部屋にいないかのように、なだめようのない不機嫌な表情で座っていた。こうして、このとても賢い狂人から多くを学ぶ筋道はなくなってしまった。だからよければ私はこの部屋を出て、あの心優しいミナ奥様と少しばかり嬉しい言葉を交わし、自分を励ますことにしよう。ジョン君、彼女がもう苦悩せず、我々の酷い出来事に悩まないでくれることは、言いようもなくうれしいね。彼女の助けがないのは残念だが、この方がよいだろう」

この件で彼が迷いを持たないように、「心から同意します」と真剣に答えた。「ハーカー夫人がいないほうがいいのです。この世の男性であり、それぞれ様々な窮地に立ったことのある僕たちにとっても酷い状況です。女性にはふさわしくない。もしこの件に関わったままだったら、いずれ間違いなく彼女は破滅していたでしょう」

ヴァン・ヘルシングはハーカー夫人とハーカーに会いに行き、クインシーとアートは土の箱の手がかりを追って出かけている。僕は一通りの仕事を終えて、今夜皆と会うことにしよう。

ミナ・ハーカーの日記

十月一日

今日のように隠し事をされるのは変な気持ちだ。長年にわたってジョナサンから全幅の信頼を寄せられていたのに、ある事柄、それも最も重要な事柄について明確に秘匿されるなんて。今朝は昨日の疲れで遅くまで寝ていた。ジョナサンも遅かったが、彼の方が私より早く起きた。彼は出かける前に、これ以上ないほど優しく話しかけてくれたが、伯爵の家を訪れたときのことについては一言も触れなかった。しかし、私がどれほど心配しているか知っていたに違いない。かわいそうな人! 私が心配した以上に、彼も心を痛めていたことだろう。皆は私がこの任務に関わらない方が良いと考え、私も同意した。でも彼が私に隠し事をするなんて! 夫の強い愛と、他の強い男性方の善意によるものだと分かっていながら、私は愚か者のように泣いている。

泣いたことで、やや落ち着いた。いつかジョナサンがすべてを話してくれるだろう。私が彼に何かを隠していると一瞬でも思われないよう、いつも通り日記をつけている。もし彼が、私から信頼されているか不安を覚えたときは、心中すべての思いが彼に読めるよう書き記されたこの日記を見せることになるだろう。今日は妙に物悲しく、元気が出ない。ひどい興奮の反動だろうか。

昨夜は彼らが去ったあと、指示された通りにベッドに入った。眠気はなく、不安で一杯だった。ジョナサンがロンドンに来てからのことをずっと考えていたのだが、まるで全てが、定められた結末に向かって運命が押し寄せるような、恐ろしい悲劇に思える。人のなすことはすべて、それがどんなに正しいことでも、最も忌むべき出来事を引き起こしてしまうようだ。もし私がウィトビーに行かなかったら、哀れなルーシーは今も私たちと一緒にいたかもしれない。私がウィトビーに到着する前にはルーシーは教会墓地に行くことはなかったのだし、昼間に私と一緒に教会墓地に行かなかったら、寝ながらあそこに歩いて行くこともなかっただろう。夜、寝ながらあそこに行かなかったら、あの怪物は彼女をああして破滅させてしまうことはなかっただろう。ああ、なぜウィトビーに行ったんだろう。ほら、また泣いてしまった! 今日はどうしてしまったんだろう。ジョナサンには隠しておかなければならない。もし私が一朝に二度も泣いたと知ったら──自分の都合で泣いたこともなければ、彼が涙を流させたこともないこの私のことだから──彼は心を痛めてしまうだろう。堂々とした表情をして、もし泣きそうになっても、彼には決して見せないようにする。これは私たち哀れな女たちが学ばなければならない学びの一つなのだろう。

昨夜はどうやって寝たのか、よく覚えていない。犬の鳴き声が突然聞こえ、階下のどこかにあるレンフィールドさんの部屋から、とても大きな音、祈るような奇妙な音がたくさん聞こえてきたのは覚えている。その後に、すべてを覆う静寂が訪れた。あまりに深い静寂に、驚いて立ち上がり、窓の外を見た。すべてが暗く静かで、月光が投げかける黒い影が、静かな不可思議さに満ちているように見えた。何も動いているものはなく、すべてが死か運命のように重く確固として見えた。だからか、ほとんど気づかないほどゆっくりと草むらを横切って家のほうへ向かってきた細い一筋の白い霧が、意識と生命力を持っているように思えた。思考が脱線したことが功を奏したのか、ベッドに戻ると倦怠感が襲ってきた。しばらく横になっていたが、なかなか眠れないので、ベッドの外に出て再び窓の外を見た。霧はさらに広がって、家の近くまで迫ってきて、窓に忍び寄るように、壁に厚く張り付いているのが見えた。哀れなレンフィールドさんはいつになく大声を出し、その言葉は一言も聞き取れなかったが、その声色に彼からの熱い懇願が感じられた。それから、争うような音がして、世話人たちが彼を相手にしていることがわかった。とても怖くなり、ベッドにもぐりこみ、頭に布団をかぶって、耳に指を入れた。その時には少しも眠くないと思っていた。しかし眠ってしまったのだろう、朝になってジョナサンに起こされるまで、夢以外には何も覚えていないのだ。自分がどこにいるのか把握し、そして私の上にかがんでいるのがジョナサンだと気づくのに、労力と少しの時間を要した。私の夢はとても奇妙で、起きている時の考えが夢の中で融合されたり、続けられたりする典型的なものだった。

夢の中で、私は眠っており、ジョナサンが戻ってくるのを待っているのだと思っていたのだ。彼のことがとても気がかりで、でもどうすることもできなかった。足も手も頭も重く、いつもの調子では何もできない。そして、不安なまま眠りに入ることにし、考えごとをした。そして、空気が重く、湿っぽく、冷たいことに気がついた。顔にかかっていた布団をめくると、驚いたことに、周りが薄暗くなっていることに気がついた。ジョナサンのために点けたままにしておいたガス灯が、明らかに濃くなって部屋に流れ込んできた霧の中を、小さな赤い火花のように照らしているだけだった。その時ふと、寝る前に窓を閉めたはずだと気がついた。それを確かめるためにベッドから出ようとしたが、鉛のような倦怠感が私の手足と意志を拘束しているようだった。じっと耐えるにとどめた。目を閉じたが、まだ瞼を通して見ることができた。(夢がどんなまやかしを見せるか、人がどれだけ都合よく想像できるかには関心させられる)。霧はますます濃くなり、霧がどのように入ってきたかがわかった。煙のように──あるいは沸騰したお湯の白い蒸気のように──窓からではなく、扉の接合部を通して入り込むのが見えたのだ。霧はますます濃くなり、まるで部屋の中で雲の柱のようなものにまとまり、その頂上からガス灯の光が赤い目のように光っているのが見えた。部屋の中で雲の柱が渦巻くにつれ、私の頭の中でもいろいろなことが渦を巻き始めた。そして、その中で聖書の言葉が浮かんだ。《昼は雲の柱、夜は火の柱》。寝ている間に、そのような霊的なお導きがあったのだろうか。確かに、火が赤い目の中にあったため、その柱は昼と夜の両方から構成されていたと言える。そう思い、私は柱に新たな魅力を感じた。見ていると、火は分裂し、霧を通して二つの赤い目のように私を照らした。それは、崖の上で死にゆく日光が聖マリア教会の窓を照らしたとき、ルーシーが一瞬の心の迷いを私に語ったときの光景のようだった。ジョナサンが見たあの恐ろしい女たちは、月明かりの中、霧の渦から姿を現し出したのだという恐怖に突然襲われた。その後、夢の中で気を失ったのか、すべてが黒い闇と化した。想像力の最後の影響は、霧の中から青白い顔が私の上にかがんでいるのを見せたことだろう。このような夢には気をつけなければならない。あまり見すぎると理性を失ってしまうからだ。ヴァン・ヘルシング博士やスワード博士に眠れるようなものを処方してもらいたいが、彼らを不安にさせるのが怖い。このような時期にそのような夢の話をすると、私に対する彼らの不安に織り込まれることになるだろう。今夜は自然に眠れるように努力する。もし眠れなかったら、明日の夜、クロラールを一杯飲ませてもらおう。一度なら害はないだろうし、よく眠れるはずだ。昨夜は徹夜するのよりも疲れた。

十月二日午後十時

昨夜は眠ったが、夢は見なかった。ジョナサンがベッドに入ってきても目が覚めなかったので、熟睡できたのだろう。しかし、その眠りは心機一転できるものではなかった。今日は、ひどく衰弱し、気力がないように感じる。昨日はずっと、本を読もうとしたり、横になってまどろみながら過ごした。午後、レンフィールドさんが面会を打診してきた。哀れな彼はとても優しく、私が帰るときには私の手にキスをし、神のご加護を祈ってくれた。これに、ある意味とても影響を受けた。彼のことを考えると涙が出る。これは新たな弱みとして、気をつけなければならない。私が泣いていたことを知ったら、ジョナサンは悲しむだろう。ジョナサンたちは夕食の時間まで外出しており、みんな疲れて帰ってきた。私は彼らを元気づけようとできる限りのことをし、その努力がかえって良かったのか、自分がどれほど疲れているかを忘れられた。夕食後、彼らは私をベッドに向かわせ、全員でタバコを吸いに行くと言ったが、その日それぞれに起こったことをお互いに話したがっているのは分かっていた。ジョナサンの態度から、彼が何か重要なことを伝えたがっていると分かったのだ。私はそれほど眠くなかった。なので、彼らが去る前に、スワード博士に、前の晩よく眠れなかったのでアヘン剤を少しくれるように頼んだ。彼はとても親切に睡眠薬を作ってくれ、《とても軽い薬だから害はないだろう》と言って渡した。それを飲んで、眠りを待っているのだけれど、眠りはまだ遠い。何か間違ったことをしたのか、眠りが私になびき始めると、新たな恐怖が襲ってくるのだ。目覚めているための力を自ら奪ってしまったのは愚かなことだったのかもしれない、もしかしたら起きていた方がいいかもしれないのに、という恐怖だ。さあ、眠りがやってくる。おやすみなさい。

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