スワード博士の日記
十月一日 午前四時
ちょうど僕たちが家を出ようとしたとき、レンフィールドから緊急の連絡があった。僕に極めて重要な話があるので、すぐに会いたいとのことだった。伝言を持ってきた世話人に、明朝ならば希望に添えるが、ちょうど今は忙しいと言った。すると、世話人はこう言葉を付け加えた。
「先生、ひどく切望しているようなんです。あんなに熱心なのは見たことがありません。もしかしたらですが、すぐに会わなければ、また激しい発作を起こすかもしれません」
何の理由もなくそのようなことを言わない男だと知っていたので、「わかった、行く」と伝えた。そして他の人たちには、《患者》に会いに行くから数分待ってくれるよう頼んだ。
「ジョン君、私も連れていってくれ」と教授は言った。「君の日記にある症例はとても興味深いし、我々の事件にも時折関係していた。特に彼の精神が乱れているときに会ってみたいね」
「私も同行していいだろうか」とゴダルミング卿が尋ねた。
「俺もいいかい」とクインシー・モリスが言った。
「僕も行っていいでしょうか」とハーカーが言った。
僕はうなずき、皆で一緒に階下への通路を進んだ。
僕たちと会った時、彼はかなり興奮していたが、話し方も態度も、これまで見たことがないほど理性的だった。今まで僕が会ってきた狂人にはない、自身に対する並外れた理解があった。そして彼は、自分の理屈が他の全く正気な人々に通用することを当然だと考えていた。僕たちは四人とも部屋に入ったが、他の誰も最初は何も言わなかった。彼の要求は、すぐにでも病院から解放して家に帰してほしいというものだった。その裏づけとして、完全に回復したことを主張し、自分の正気を訴えてきた。
「あなたのご友人に訴えましょう」彼は言った。「私の病状を診断することをいとわないでくださるかもしれません。ところで、まだ私をご友人方に紹介してくださっていませんね」
あまりの驚愕で、精神病院の狂人を紹介することの奇妙さにその場では気づかなかった。加えてレンフィールドの態度にはある種の威厳があり、対等な振る舞いをしていたので、すぐに紹介した。
「ゴダルミング卿、ヴァン・ヘルシング教授、テキサス州のクインシー・モリス氏です。こちらは、レンフィールド氏」
レンフィールドは各人と握手をして、順番にこう言った。
「ゴダルミング卿、私はウィンダムであなたのお父様のお手伝いをする光栄に浴しました。あなたがその称号をお持ちということから、お父様がもうお亡くなりになったことを知り、残念に思っています。お父様はすべての知人に愛され、尊敬された人物でした。若いころには、ダービーの夜によく飲まれていた、ラム酒を燃やしたパンチ酒を発明したと聞いています。モリス氏、あなたはご自身の偉大な州を誇りに思うべきです。合衆国へ加盟されたことは、将来において極地と熱帯が星条旗に忠誠を誓うような、広範囲に影響を及ぼす可能性のある先例となりました。モンロー主義が政治的寓話としての本来の地位を占めるようになったときに、加盟条約の力が、巨大な発展の原動力となる可能性があるのです。ヴァン・ヘルシングにお会いする喜びをどう表せばいいのでしょうか。先生、私は慣習的な敬称を取りやめたことについて、何の謝罪もしませんよ。脳細胞の連続的な進化を発見し、治療学に革新をもたらした人物に対して、従来の医学的敬称は、その人物をある種の階級に限定してしまうようで、そぐいませんから。国籍、遺伝、あるいは天賦の才能によって、この躍動する世界でそれぞれの地位を占めるにふさわしい紳士諸君よ。少なくとも、完全に自由を有している大多数の人々と同じくらいには、私が正気だという証人になっていただきたい。科学者であると同時に人道主義者であり、医学者であるスワード博士が、私を例外的な状況下にあるものとして取り扱うことを、道徳的義務とみなしていただけることを、確信しています」
彼は、この最後の訴えを、上品な確信をもってして、さらには魅力的に表現した。
僕たちは皆、驚かされた。僕自身、この人物の性格や経歴を知っているにもかかわらず、理性が回復したことを確信していた。そして、正気であると納得したので、退院のために必要な手続きを明朝にする旨を伝えたい強い衝動に駆られた。しかし、このような重大な発言をするのは待った方がいいと思った。この患者が概して急変しやすいことを知っていたからだ。そこで、非常に急速に回復しているようだから、明朝にゆっくり話をして、希望に沿うような方向で何ができるか考えてみよう、と大まかなことを述べるに済ませた。しかし、彼は全く納得せず、すぐにこう言った。
「スワード博士、私の願いをほとんど理解されていないようです。できることならすぐにでも、今ここで、今この時、今この瞬間に出たいのです。時間が迫っています。あの年老いた鎌使い【訳注:死神】との暗黙の了解の中で、時間は契約の本質をなすものです。スワード博士のような立派な医師であれば、これほど単純でありながら重大な希望を申し上げさえすれば、その実現を確実にしてくださるでしょう」
彼は僕をじっと見て、僕の表情に消極性を見てとったのか、他の人に目を向け、彼らをよく観察した。彼はその結果に納得できず、さらに続けた。
「私の推測が間違っているとでも?」
僕は率直に、しかし同時に残酷にもこう言った。
「そうです」
かなりの間があり、それから彼はゆっくりと言った。
「それなら、要求の根拠を変えなければなりませんね。譲歩をお願いしたいのです──恩赦でも特権でも、何と呼んでいただいても結構です。個人的な理由ではなく、他の人々のためですので、このようにお願いできます。理由をすべてお話しすることはできませんが、健全で無私の理由であり、最大限の義務感からくる善なる理由だと保証します。私の心の中を見ていただければ、私を動かしている動機を全面的に認めていただけるでしょう。いや、それどころか、私を最高の友人として認めるはずです」
彼は再び全員を鋭く見据えた。僕は、この突如として起こった彼の知的手段の変化は、狂気の一形態あるいは一段階に過ぎないという確信を深めた。そして、経験上、彼が他の狂人と同様に、最後には正体を表すことを経験から知っていたので、話をもう少し続けさせようと決心した。ヴァン・ヘルシングは彼を凝視しており、その豊かな眉毛は、視線の焦点を合わせるために、眉間でほとんど接触しそうであった。彼はレンフィールドに、その時は驚かなかったが、後で考えてみると驚くような、まるで対等に話しかけるような口調でこう言った。
「なぜ今晩に自由になりたいのか、その本当の理由を率直に話してくれないかね。もし、偏見を持たず、視野を広く持った、見ず知らずの私でさえ納得させられるなら──スワード博士が彼自身の責任で、君の求める特権を与えることを、私から約束しよう」
レンフィールドは悲しげに首を振り、痛烈な後悔の表情を浮かべた。教授が続けた。
「よく考えてみたまえ。完全に理性的だと印象付けようとしているということは、最高の理性の持つ特権を主張したいのだろう。君は理性を主張しているが、病気の治療からまだ解放されていないのだから、我々には正気を疑う理由がある。もし君が、最も賢明な道を選択せんとする我々の努力を助けてくれないのなら、君が我々に課した責務をどうやって果たせばいいというのだね。賢明になって、我々を助けてくれ。そうすれば、望みを叶えるために協力しよう」
それでもレンフィールドは、首を振りながら言った。
「ヴァン・ヘルシング博士、何も申し上げることはありません。あなたの主張は完璧ですから、もし自由に話せたなら、一瞬たりとも打ち明けるのにためらわなかったでしょう。しかし、この問題に関して私は自身の支配者ではないので、信頼してくださいと頼むしかないのです。もし断られたとしても、その責任は私にはないのです」
僕は、あまりにも滑稽に重苦しくなってきたこの状況をそろそろ終わりにしようと思い、扉の方へ行き、簡単にこう言った。
「さあ友よ、仕事があるのだから行こう。おやすみ」
しかし僕が扉に近づいたとき、患者に新たな変化が訪れた。とても素早く近づいてきたので、一瞬、彼がまた殺傷を試みるのではないかと心配になった。しかし、僕の心配は杞憂に終わった。彼は両手を挙げて懇願し、感動的な態度で陳情した。患者は、感情をあらわにすることが自身にとって不利にはたらき、僕との関係が以前同様に戻ってしまうことを知ると、さらに強く主張した。僕はヴァン・ヘルシングをちらっと見て、彼の目に僕と同じ確信が映ったため、より厳しいとは言えないまでも、もう少し態度を頑なにして、努力は無駄だと伝えた。以前、彼が猫を飼いたがっていた時など、その時に彼が真剣に捉えていた要求をしなければならない時に、同じように絶え間なく興奮が高まっていくのを見たことがあった。そして今回も、同じように不機嫌な納得へと落ち着くのを予期していた。しかし、僕の期待は裏切られ、彼は自分の訴えが通らないことを知ると、完全に狂乱状態に陥った。彼は、膝をついて両手を挙げ、必死に手を振り絞って懇願し、涙を流しながら、顔や姿に深い情感を表して、絶え間なく哀願した。
「スワード博士、お願いです、どうか私をこの家からすぐに出してください。あなたが好きなように、好きなところへ私を追い出してください。鞭や鎖を持った番人を付けてくださっても結構ですし、拘束衣を着せて手枷足枷をし、監獄に連れ込んでも結構ですが、ここから出してください。私をここに閉じ込めておくことが何を意味するのか、あなたにはわからないのです。心の奥底から、まさに魂の底から話しているのです。あなたが誰をどのように誤解しているのか、あなたは知りませんし、私も言えません。なんということでしょう! 私は話すことができません。あなたが神聖視するものすべてのために──あなたが大切にするものすべてのために──失われたあなたの愛のために──今も生きるあなたの希望のために──全能の神のために、私をここから救い出し、私の魂を罪から救ってください。私の声が聞こえないのでしょうか。理解できないのでしょうか。理解する気がないのでしょうか。私は正気で、真剣なんです。狂気に陥った狂人ではなく、自らの魂のために戦う正気の人間だとわかりませんか。聞いてください! 聞いてくれ! 出してくれ! 出してくれ! 出してくれ!」
この状態が長く続けば続くほど、荒れ狂い、発作を起こすだろうと思ったため、手を取って立ち上がらせた。
「よしなさい」と僕は厳しく言った。「さあ、もうたくさんです。ベッドに入り、もっと静かに振る舞うように」
彼は突然言葉を止め、しばらく僕の顔をじっと見ていた。そして、何も言わずに立ち上がり、ベッドの片側に腰を下ろした。以前と同じように、予期したとおりに落ち着いたのだ。僕がしんがりとして部屋を出ようとすると、彼は静かな、よく響く声でこう言った。
「スワード博士、あなたを納得させるために今夜の私ができる限りのことをしたことを、後々まで心に留めておいてくださると信じています」
ジョナサン・ハーカーの日記
十月一日午前五時
ミナがこれほどまでに力強く、元気な姿は見たことがなかったので、安心して一行と捜索に向かった。彼女が身をひいて、僕たち男性に任務を任せてくれたことが本当に嬉しかった。彼女がこのように恐ろしい任務に携わっているのが心配だったのだ。審らかに事件の全容がまとめられたのは、彼女の努力と頭脳と先見の明のおかげだ。それが終わった今、彼女は自分の役割は終わったと感じ、これからは残りを僕たちに任せてもよいと思ったのかもしれない。僕たちは皆、レンフィールド氏との一件で、少し動揺していたように思われる。僕たちは、彼の部屋から出たあと、書斎に戻るまで黙っていた。書斎にて、モリス氏がスワード博士にこう言った。
「ジャック、もしあの男がはったりをかましたんでないなら、今まで見たことのある中でいっとう正気の狂人だぜ。よくわからねえが、何か重大な目的があったんだろうさ。そうだとしたら、機を逃したのはかなり辛いだろうな」
ゴダルミング卿と僕は黙っていたが、ヴァン・ヘルシング博士がこう言い添えた。
「ジョン君、君は私より狂人のことをよく知っている。もし私が決めたとしたら、最後のヒステリーを起こす前に彼を自由にしていただろうと思うから、君が専門家で嬉しいよ。それに、我々は生涯学び続け賢くなる生き物だ。我々の今の仕事は、クインシー君流に言うと、賭けに出てはならない。全て、今の状態が最善だ」
スワード博士は、どこか上の空で二人に答えた。
「そのご意見に同意できるか分かりません。相手が普通の狂人であったなら、思い切って信用したでしょうね。でも、彼は伯爵と指数関数的に関わっているように見えるので、彼のこだわりに協力することで何か悪いことをしていないか心配になったんです。彼が猫のためにほとんど同じ熱意で懇願した後、その歯で僕の喉を引き裂こうとしたことが忘れられないので。それに、彼は伯爵を《大いなる君主》と呼んでいました。何か悪辣な方法で伯爵を助けるために出て行きたいのかもしれません。あの恐ろしい怪物にはオオカミやネズミや同類の仲間がついているのだから、立派な狂人を利用するのもやぶさかではないのでしょう。確かに彼は真剣なようでしたが。あの決断で、最善を尽くしたと願うばかりです。こういう出来事には、僕たちが手がけている恐ろしい仕事と相まって、不安にさせられますね」
教授は歩み寄り、スワード博士の肩に手を置いて、重々しくも優しくこう言った。
「ジョン君、心配することはない。とても悲しくて恐ろしい任務で自らの責務を果たそうとしている我々にできることは、最善と考えることを果たすことのみだ。神の憐れみ以外に、何かが望めるとでも?」
数分ほど席を外していたゴダルミング卿が戻ってきた。彼は小さな銀の笛を手に取りつつ、こう言った。
「あの古い建物はネズミでいっぱいかもしれない、もしそうなら対策を用意してある」
塀を乗り越え、月明かりが射しているときには芝生の木々の影に入るよう気をつけながら、僕たちは家に向かって歩いた。玄関に着くと、教授は鞄を開けてたくさんのものを取り出し、それを階段に並べて、小さく四つに仕分けした。そして、彼はこう言った。
「友よ、我々はこれから恐ろしい危機に直面するのだから、色々な武器が必要だ。我々の敵は単に霊的な力を持つだけではないのだ。彼に二十人分の力があるのを忘れてはならない。そして、我々の首や気管は普通のものであり──したがって折ったり砕いたりできるが──彼はただの力では挫けないのだ。彼より強い男一人、あるいは彼よりすべてにおいて強い男の集団であれば、時として押さえられるだろう。しかし強い男の集団であっても、彼が我々を傷つけられるのと同様には、彼を傷つけられないのだ。よって、彼の手から身を守らねばならない。これを心臓のあたりにかけておきなさい」──そう言うと、彼は小さな銀の十字架を持ち上げて、一番近くにいた僕に差し出した。
「この花を首にかけなさい」──ここで彼は枯れたニンニクの花の花輪を僕に渡した。
「もっとありふれた他の敵にはこのリボルバーとこのナイフを、そしてあらゆる面での助けとして、胸に留めておけるこのとても小さな電気ランプを。そしてとりわけ最後に、すべてのために、無用に冒とくしてはならないこれを」
それは聖餅の一部であり、彼はそれを封筒に入れて僕に手渡した。他の人たちもそれぞれ同じような装備をした。
「さて」と教授は言った。「ジョン君、合鍵はどこだね。合鍵があれば扉を開けられるし、以前にルーシー嬢宅でしたように、窓から侵入しなくて済む」
スワード博士が外科医としての技師的な手際の良さを生かして、合鍵を一つ、二つと試した。やがて、彼がそのうちの一つを選び出し、前後に少し動かしてみると、錆びた音とともに錠が外れた。僕たちが扉を押すと、錆びた蝶番がきしみ、ゆっくりと扉が開いた。スワード博士の日記にあるウェステンラ嬢の墓が開くときの様子と驚くほど似ている。他の人たちも同じように思ったのか、一様に身を引いた。教授は真っ先に前に進み、開いた扉から足を踏み入れた。
「神よ、汝の手に委ねよう【訳注:ラテン語。In manus tuas, Domine!】」
そう言いながら十字を切り、教授は敷居をまたいだ。僕たちは通った後に扉を閉め、ランプを灯した時に外の道路から注意を引くといけないので、扉を閉めた。脱出を急ぐ羽目になったとき中から開けられるよう、教授は慎重に鍵を試した。そして、全員がランプを灯して探索を進めた。
小さなランプの光は、光線が交差したり、人影が大きくなったりしたことで、さまざまな奇妙な形を作り出した。僕たちの中に他の誰かがいるような感覚が、どうしても払拭できなかった。トランシルヴァニアでの恐ろしい体験が、この恐ろしい環境で、強烈に思い出されたからだろう。この感覚は皆に共通するものだったようだ。他の人たちも僕と同じく、音がするたび、新しい影ができるたび、しきりに肩越しに振り向いているのに気づいたからだ。
家の全体が埃で汚れていた。床は、最近の足跡があるところ以外は、数インチの深さのほこりがあった。ランプを下げてみると、埃がないところに靴底の鋲釘の痕が残っていた。壁は埃で柔らかくも重く覆われ、隅には蜘蛛の巣が大量にあった。蜘蛛の巣は埃が集まって重みで一部破れ、古ぼけたぼろ布のようになっていた。広間のテーブルの上に、大きな鍵の束があり、それぞれに経年で黄ばんだラベルが貼られていた。教授が鍵を持ち上げた時に残った痕跡は、テーブルの上の埃にあった痕跡と似ていたので、何回か使われたものなのだろう。彼は僕に向って言った。
「ジョナサン、この場所を知っているね。君はこの場所の地図の複写を持っているのだし、少なくとも我々よりは知っているはずだ。礼拝堂への経路はどちらかな」
以前訪れたときに立ち入れなかったものの、方向の見当はついていた。なので道案内をし、何度か道を間違えつつも、鉄の帯で縁取られた低いアーチ型のオーク材の扉の前に出た。
「ここだ」
教授はそう言いながら、購入に関する僕の手紙の原本から複写した、この家の小さな地図にランプをともした。鍵の束から鍵を見つけるのに手間取ったが、鍵で扉を開けた。扉を開けると、隙間からかすかな悪臭が漂ってきたのだが、多少の不快感は覚悟していたものの、これほどの臭いに遭遇するとは誰も予想していなかった。他の人は伯爵と近くで会ったことがないし、僕としても、伯爵が断食していた時に自室で会ったのと、新鮮な血を貪っていたものの外気に開かれた廃墟の建物にいたときのみだった。しかしここは狭くて小さな空間である上に、長く使われておらず空気が淀んで汚くなっていた。その穢れた空気から、気化したガスのような臭いに乗って、土の臭いが漂ってきた。さて、その臭いをどう表現したらよいのだろう。その匂いは、死をもたらす病魔と、刺激的な血の臭いとで構成されているだけでなく、腐敗そのものが腐敗しているかのような臭いだった。ふう! 考えると気分が悪くなる。あの怪物の吐息がすべてこの場所にまとわりつき、その不快感を増大させているようだった。
普通の状況であれば、あのような悪臭は僕たちの試みを終わらせただろう。しかし、普通の状況ではなかった。僕たちが関与する崇高で恐ろしい目的が、単に物理的な事柄を超えた力を与えたのだ。最初の吐き気をもよおす匂いに思わず萎縮した後、僕たちは皆、この忌まわしい場所がバラ園であるかのように仕事に取り掛かった。
僕たちはその場所を正確に調査した。調査を始めるに当たって教授はこう言った。
「まず、箱がいくつ残っているかを確認したあと、全ての穴や隅々まで調べて残りの箱がどうなっているのかの手がかりを何かつかまなければならない」
一目見ただけで、あと何箱残っているかわかる。大きな土の箱はかさばるし、見間違うことはないからだ。
五十個のうち、二十九個しか残っていない! ゴダルミング卿が突然振り返って、アーチ状の扉の向こうの暗い通路を見たので、僕も釣られて見てしまい、一瞬心臓が止まりそうになった。伯爵の邪悪な表情、鼻筋、赤い目、赤い唇、恐ろしく青白い顔が、闇からこちらを見つめているのが浮かび上がって見えた気がしたのだ。ゴダルミング卿が「顔を見た気がしたが、ただの影だったな」と言ったように、一瞬のことであった。ゴダルミング卿はそのまま調査を再開したので、僕はランプをその方向に向け、通路に足を踏み入れた。人の気配はない。通路には曲がり角も扉も開口部もなく、堅固な壁があるだけなので、伯爵であっても隠れ場所はないはずだ。恐怖が想像力を増長させたのだと思い、僕は何も言わなかった。
数分後、調査していた一角からモリスが急に後ろに下がるのが見えた。緊張が高まっていた僕たちが、モリスの動きを目で追うと、星のようにきらめく燐光の塊が見えた。僕たちは皆、本能的に引き下がった。その場はネズミで一面覆われたのだ。
僕たちはしばし呆然と立ち尽くしたが、ゴダルミング卿はこのような非常事態に備えていたようだった。スワード博士が外観を描写していた、さらには僕自身も見たことがあった、鉄枠付きのオーク材の大きな扉に、ゴダルミング卿は駆け寄って鍵を回し、大きな閂を引いて扉を開けた。そして、ポケットから小さな銀の笛を取り出して、低く鋭い音を鳴らした。スワード博士の家の裏から犬の鳴き声が返ってきて、一分ほどして三頭のテリアが家の角を曲がって飛び出してきた。僕たちは無意識のうちに扉の方に移動していた。移動しながら、埃がかなり乱れていることに気づいた。持ち出された箱はこちら側へ運ばれてきたのだ。しかし、その一分間にもネズミの数は大幅に増えていた。ネズミはいっせいに群がり、ランプの光が彼らの動く黒ずんだ体とギラついた気味の悪い目を照らして、まるでホタルのいる土手のようだった。犬たちは飛んできたが、敷居のところで突然止まって唸り、それから一斉に鼻先を上げて、非常に物悲しい吠え方をしはじめた。ネズミが何千匹にも増えてきたので、僕たちは外に出た。
ゴダルミング卿は犬を一匹持ち上げて家に入れ、床の上に置いた。その足が床に着いた瞬間、犬は勇気を取り戻したかのように、天敵に向かって突進した。犬が数匹の命を奪う前に、ネズミは彼の前から素早く逃げ出した。同じように持ち上げられた他の犬たちは、集団が消え去る前に少しの獲物を手に入れただけであった。
ネズミ去りし後は、まるで邪悪な存在が去ったかのようだった。犬たちは飛び回り、陽気に吠えながら、伏した敵に突然飛びかかり、ひっくり返したり、激しく揺さぶりながら空中に放り投げたりした。僕たちは皆、気分が高揚した。礼拝堂の扉を開けたことで恐ろしい空気が浄化されたのか、ひらけた場所にいることで安心したのかはわからない。恐怖の陰りが衣のように滑り落ちたのは確かだ。僕たちの訪問の厳粛さは薄れたが、決意は少しも緩むことがなかった。僕たちは外側の扉を閉め、閂をかけて鍵をかけ、犬を連れて家の中の探索を始めた。埃が異常に多く、僕が初めて訪問した時の足跡が残っている以外には、全体的に何も見つからなかった。犬たちは一度も不安なそぶりを見せず、礼拝堂に戻ってからも、まるで夏の森のウサギ狩りのように、元気に走り回っていた。
正面から出たとき、東の空は急速に朝を迎えていた。ヴァン・ヘルシング博士が束から玄関の鍵を取り出して、通常のやり方で鍵をかけ、鍵をポケットに入れた。
「さて」と彼は言った。「今夜は大成功だ。私が恐れていたような危害は我々に及んでいないし、いくつの箱が無くなっているのかも確認できた。何よりも嬉しいのは、私たちの最初の──そしておそらく最も困難で危険な──この一歩が、私たちの最もいとしいミナ奥様を巻き込まず、決して忘れることのできない恐怖の光景や音や匂いでミナ奥様の目覚めや眠りを煩わせることなしに達成されたことだ。また、もし特別に論じることが許されるなら、我々は一つの教訓を学んだ。伯爵の指揮下にある獣でも、伯爵の霊的な力には従わないということだ。ほら、ネズミたちは伯爵の呼びかけにやって来た。ちょうど彼の城上からオオカミたちを呼び出して、君の行く先や哀れな母親の叫びに向かわせたように、ネズミたちは彼のもとにやって来たものの、アーサー君のとても小さな犬から逃げ去ってしまったのだ。我々の前には別の問題、別の危険、別の恐怖がある。あの怪物が獣に関する力を使わないなんてことは、今夜だけ、あるいは今夜が最後だろうな。彼は別の場所に行ったのだ。よかった! 人類の魂を賭けてプレイしているこのチェスゲームで《チェック》と叫ぶ機会を与えてくれたのだ。さあ、帰ろう。夜明けは間近であり、最初の夜の仕事に満足する理由もある。この先、危険な夜と昼が続く定めかもしれない。しかし、我々は前進しなければならないし、危険から逃げるわけにはいかないのだよ」
僕たちが戻ってきたとき、遠くの病室の一つで叫んでいる哀れな生命と、レンフィールドの部屋から聞こえる低いうめき声を除いて、家は静まり返っていた。哀れなレンフィールドは、狂人がやるように、不必要な苦悩で自らを苦しめているのだろう。
僕はつま先立ちで自分たちの部屋に入り、ミナが眠っているのを見つけた。耳を近づけなくては聞こえないほど小さな息づかいをしていた。いつもより顔色が白い。今夜の会議が、彼女を動揺させたのでなければいいのだが。彼女が、僕たちの将来の仕事や、さらには僕たちの会議から外れることになったことを、心から感謝している。女性には負担が大きすぎる。最初はそう思わなかったが、今はよく分かる。なので、この件が決まってよかった。彼女が聞いたら怖がるようなこともあるだろう。しかし、隠し事があるとばれている以上、彼女に秘匿することは、彼女に話すよりも悪いことかもしれない。これから先、僕たちの仕事は彼女にとって封印された書物のようなものだ。少なくとも、全てが完了し、地球が地獄の怪物から解放されたと彼女に伝えられるまでは。僕たちのような誓いを経た後、沈黙を守るのは難しいだろう。しかし明日、断固として、今夜の出来事のことは秘密にし、起こったことは何も語らないことにする。彼女の邪魔をしないように、ソファで休むこととする。
十月一日、その後
昼は忙しく、夜は全く休めなかったのだから、全員が寝坊したのは当然のことだろう。ミナもその疲れを感じたのかもしれない。僕は日が高くなるまで寝ていたにも関わらず、彼女より先に目が覚めてしまい、彼女が起きるまでに二、三度呼ばなければならなかった。彼女はあまりにも熟睡していて、起きて数秒間は僕を認識できず、悪い夢から覚めた人のような空虚な恐怖と共に僕を見つめた。彼女が疲れを少し訴えたので、その日は遅くまで休ませた。今、僕たちは二十一個の箱が運び出されたことを知っている。運び出されたのであれば、すべて突き止められるかもしれない。そうすれば当然、僕たちの為すべき事は非常に単純化されるし、早く対処すればするほどよいだろう。今日、トーマス・スネリングに会いに行くつもりだ。
スワード博士の日記
十月一日
正午頃、教授が部屋に入ってきたので目を覚ました。彼はいつも以上に陽気で明るく、昨夜の仕事が心の重荷を取り除いたことは明らかだった。一晩の冒険を振り返った後、彼は突然こう言った。
「君の患者にとても興味がある。今朝、君と一緒に訪ねてもいいかね。もし君が忙しいなら、私だけで行っても構わない。哲学を語り、理性を持った狂人と会うのは、初めての経験だ」
僕は急ぎの仕事があったので、一人で行ってくださるならお待たせせず済むので喜ばしいと言った。そして世話人を呼んで、必要な指示を出した。教授が部屋を出る前に、患者から間違った印象を受けないように注意した。
「しかしだね」と彼は答えた。「彼自身について、そして生命を食べる妄想について、彼に話して欲しいのだ。昨日の君の日記にあるように、彼はミナ奥様に、かつてそのような信念を持っていたと発言した。ジョン君、なぜ笑うんだね」
「失礼しました」と僕は言った。「でも、その問いの答えはここにあるんです」僕はタイプ書きされた書類に手を置いた。「この正気と学識のある狂人が、いかにかつて生命を消費していたかを発言したまさにそのとき、彼の口はハーカー夫人の入室直前に食べたハエやクモで吐き気を催していたんですよ」
ヴァン・ヘルシングは微笑み返した。
「さすがだ!」と彼は言った。「ジョン君、君の記憶通りだ。私も思い出すべきだった。しかし、このような思考と記憶の不一致があるからこそ、精神疾患は魅力的な研究対象なのだ。この狂人の愚行から、賢者の教えよりも多くの知識を得られるかもしれない。どうだろうか」
僕は自分の仕事を続け、間もなく手持ちの仕事をやり切った。とても短時間に感じられたが、書斎にヴァン・ヘルシングが戻ってきた。
「お邪魔かな」
彼は扉の前に立つと、礼儀正しく尋ねた。
「とんでもないです」と僕は答えた。「お入りを。仕事が終わったので、時間ができたところです。もし必要があればお供しますよ」
「その必要はない、彼に会ってきた!」
「それで、いかがでしたか」
「彼は私をあまり評価していないようだ。やり取りは短かった。部屋に入ると、彼は中央の椅子に座って膝に肘をついており、その表情は苦々しく、不機嫌を絵にしたようだった。できるだけ明るく、できる限りの敬意をもって彼に話しかけた。しかし、何も答えない。《私をご存知ないかな》と尋ねた。その答えは安心できるものではなかった。《あなたのことはよく知っている。あなたは愚かな老人ヴァン・ヘルシングだ。そのバカな脳味噌の理論と一緒に、どこか他所に持っていってほしいものだな。うすのろオランダ人はみな呪われろ!》彼はそれ以上一言も発さず、まるで私が部屋にいないかのように、なだめようのない不機嫌な表情で座っていた。こうして、このとても賢い狂人から多くを学ぶ筋道はなくなってしまった。だからよければ私はこの部屋を出て、あの心優しいミナ奥様と少しばかり嬉しい言葉を交わし、自分を励ますことにしよう。ジョン君、彼女がもう苦悩せず、我々の酷い出来事に悩まないでくれることは、言いようもなくうれしいね。彼女の助けがないのは残念だが、この方がよいだろう」
この件で彼が迷いを持たないように、「心から同意します」と真剣に答えた。「ハーカー夫人がいないほうがいいのです。この世の男性であり、それぞれ様々な窮地に立ったことのある僕たちにとっても酷い状況です。女性にはふさわしくない。もしこの件に関わったままだったら、いずれ間違いなく彼女は破滅していたでしょう」
ヴァン・ヘルシングはハーカー夫人とハーカーに会いに行き、クインシーとアートは土の箱の手がかりを追って出かけている。僕は一通りの仕事を終えて、今夜皆と会うことにしよう。
ミナ・ハーカーの日記
十月一日
今日のように隠し事をされるのは変な気持ちだ。長年にわたってジョナサンから全幅の信頼を寄せられていたのに、ある事柄、それも最も重要な事柄について明確に秘匿されるなんて。今朝は昨日の疲れで遅くまで寝ていた。ジョナサンも遅かったが、彼の方が私より早く起きた。彼は出かける前に、これ以上ないほど優しく話しかけてくれたが、伯爵の家を訪れたときのことについては一言も触れなかった。しかし、私がどれほど心配しているか知っていたに違いない。かわいそうな人! 私が心配した以上に、彼も心を痛めていたことだろう。皆は私がこの任務に関わらない方が良いと考え、私も同意した。でも彼が私に隠し事をするなんて! 夫の強い愛と、他の強い男性方の善意によるものだと分かっていながら、私は愚か者のように泣いている。
泣いたことで、やや落ち着いた。いつかジョナサンがすべてを話してくれるだろう。私が彼に何かを隠していると一瞬でも思われないよう、いつも通り日記をつけている。もし彼が、私から信頼されているか不安を覚えたときは、心中すべての思いが彼に読めるよう書き記されたこの日記を見せることになるだろう。今日は妙に物悲しく、元気が出ない。ひどい興奮の反動だろうか。
昨夜は彼らが去ったあと、指示された通りにベッドに入った。眠気はなく、不安で一杯だった。ジョナサンがロンドンに来てからのことをずっと考えていたのだが、まるで全てが、定められた結末に向かって運命が押し寄せるような、恐ろしい悲劇に思える。人のなすことはすべて、それがどんなに正しいことでも、最も忌むべき出来事を引き起こしてしまうようだ。もし私がウィトビーに行かなかったら、哀れなルーシーは今も私たちと一緒にいたかもしれない。私がウィトビーに到着する前にはルーシーは教会墓地に行くことはなかったのだし、昼間に私と一緒に教会墓地に行かなかったら、寝ながらあそこに歩いて行くこともなかっただろう。夜、寝ながらあそこに行かなかったら、あの怪物は彼女をああして破滅させてしまうことはなかっただろう。ああ、なぜウィトビーに行ったんだろう。ほら、また泣いてしまった! 今日はどうしてしまったんだろう。ジョナサンには隠しておかなければならない。もし私が一朝に二度も泣いたと知ったら──自分の都合で泣いたこともなければ、彼が涙を流させたこともないこの私のことだから──彼は心を痛めてしまうだろう。堂々とした表情をして、もし泣きそうになっても、彼には決して見せないようにする。これは私たち哀れな女たちが学ばなければならない学びの一つなのだろう。
昨夜はどうやって寝たのか、よく覚えていない。犬の鳴き声が突然聞こえ、階下のどこかにあるレンフィールドさんの部屋から、とても大きな音、祈るような奇妙な音がたくさん聞こえてきたのは覚えている。その後に、すべてを覆う静寂が訪れた。あまりに深い静寂に、驚いて立ち上がり、窓の外を見た。すべてが暗く静かで、月光が投げかける黒い影が、静かな不可思議さに満ちているように見えた。何も動いているものはなく、すべてが死か運命のように重く確固として見えた。だからか、ほとんど気づかないほどゆっくりと草むらを横切って家のほうへ向かってきた細い一筋の白い霧が、意識と生命力を持っているように思えた。思考が脱線したことが功を奏したのか、ベッドに戻ると倦怠感が襲ってきた。しばらく横になっていたが、なかなか眠れないので、ベッドの外に出て再び窓の外を見た。霧はさらに広がって、家の近くまで迫ってきて、窓に忍び寄るように、壁に厚く張り付いているのが見えた。哀れなレンフィールドさんはいつになく大声を出し、その言葉は一言も聞き取れなかったが、その声色に彼からの熱い懇願が感じられた。それから、争うような音がして、世話人たちが彼を相手にしていることがわかった。とても怖くなり、ベッドにもぐりこみ、頭に布団をかぶって、耳に指を入れた。その時には少しも眠くないと思っていた。しかし眠ってしまったのだろう、朝になってジョナサンに起こされるまで、夢以外には何も覚えていないのだ。自分がどこにいるのか把握し、そして私の上にかがんでいるのがジョナサンだと気づくのに、労力と少しの時間を要した。私の夢はとても奇妙で、起きている時の考えが夢の中で融合されたり、続けられたりする典型的なものだった。
夢の中で、私は眠っており、ジョナサンが戻ってくるのを待っているのだと思っていたのだ。彼のことがとても気がかりで、でもどうすることもできなかった。足も手も頭も重く、いつもの調子では何もできない。そして、不安なまま眠りに入ることにし、考えごとをした。そして、空気が重く、湿っぽく、冷たいことに気がついた。顔にかかっていた布団をめくると、驚いたことに、周りが薄暗くなっていることに気がついた。ジョナサンのために点けたままにしておいたガス灯が、明らかに濃くなって部屋に流れ込んできた霧の中を、小さな赤い火花のように照らしているだけだった。その時ふと、寝る前に窓を閉めたはずだと気がついた。それを確かめるためにベッドから出ようとしたが、鉛のような倦怠感が私の手足と意志を拘束しているようだった。じっと耐えるにとどめた。目を閉じたが、まだ瞼を通して見ることができた。(夢がどんなまやかしを見せるか、人がどれだけ都合よく想像できるかには関心させられる)。霧はますます濃くなり、霧がどのように入ってきたかがわかった。煙のように──あるいは沸騰したお湯の白い蒸気のように──窓からではなく、扉の接合部を通して入り込むのが見えたのだ。霧はますます濃くなり、まるで部屋の中で雲の柱のようなものにまとまり、その頂上からガス灯の光が赤い目のように光っているのが見えた。部屋の中で雲の柱が渦巻くにつれ、私の頭の中でもいろいろなことが渦を巻き始めた。そして、その中で聖書の言葉が浮かんだ。《昼は雲の柱、夜は火の柱》。寝ている間に、そのような霊的なお導きがあったのだろうか。確かに、火が赤い目の中にあったため、その柱は昼と夜の両方から構成されていたと言える。そう思い、私は柱に新たな魅力を感じた。見ていると、火は分裂し、霧を通して二つの赤い目のように私を照らした。それは、崖の上で死にゆく日光が聖マリア教会の窓を照らしたとき、ルーシーが一瞬の心の迷いを私に語ったときの光景のようだった。ジョナサンが見たあの恐ろしい女たちは、月明かりの中、霧の渦から姿を現し出したのだという恐怖に突然襲われた。その後、夢の中で気を失ったのか、すべてが黒い闇と化した。想像力の最後の影響は、霧の中から青白い顔が私の上にかがんでいるのを見せたことだろう。このような夢には気をつけなければならない。あまり見すぎると理性を失ってしまうからだ。ヴァン・ヘルシング博士やスワード博士に眠れるようなものを処方してもらいたいが、彼らを不安にさせるのが怖い。このような時期にそのような夢の話をすると、私に対する彼らの不安に織り込まれることになるだろう。今夜は自然に眠れるように努力する。もし眠れなかったら、明日の夜、クロラールを一杯飲ませてもらおう。一度なら害はないだろうし、よく眠れるはずだ。昨夜は徹夜するのよりも疲れた。
ジョナサン・ハーカーの日記
十月一日、夕刻
ベスナル・グリーンの彼の家でトーマス・スネリングに会ったが、残念ながら何も覚えていない状態だった。僕の来訪に備えて開かれたビールの誘惑が大きすぎて、期待に反して早くも酩酊状態に入ってしまっていたのだ。しかし、まともな人物と見受けられる彼の妻から、トーマス・スネリングはスモレットの助手にすぎず、二人のうちスモレットが責任者だと知った。そこで僕がウォルワースに馬車を走らせると、ジョセフ・スモレット氏が家にいて、ワイシャツ姿でソーサーから遅めの紅茶を飲んでいた。彼はまっとうで知的な男で、明らかに善良で信頼できる類の職人であり、彼独自の分別をつけていた。彼は箱の出来事についてすべて覚えていて、ズボンの尻部分にあった不可思議な収納口から取り出した、半ば掠れて消えている鉛筆により太く象形文字のように記入されている、角が折られた素晴らしい手帳から、箱の行き先を教えてくれた。カーファックスで受け取った荷物の中には、マイルエンドニュータウンのチックサンド通り197番地に配送した六個と、バモンジーのジャマイカ通りに配送した六個があったという。もし伯爵がロンドン中にこのおぞましい住処をばらまくつもりなら、これらの場所は最初の受け渡し場所として選ばれただけで、後からもっと充分に分配できるようにしてあったのだろう。その計画的なやり口を考慮すると、ロンドンの二箇所にとどまるつもりはないのだろうと思われた。伯爵は今やロンドンにおいて、北岸の東の果て、南岸の東側、そして南側に陣取っていたのだ。ロンドンの北と西を、彼の極悪非道な計画から外すつもりはないはずだ──ましてやシティ・オブ・ロンドンや、南西と西にある社交の中心地はなおさらだ。僕はスモレットへ、カーファックスから他に箱が持ち出されたことがあるかどうか尋ねた。
スモレットはこう答えた。
「さて旦那、あんたは俺をとっても大切に扱ってくださったんだから」──僕は彼に半ソブリンを渡していた──「俺が知っているこたあ、ぜんぶお話ししちゃうね。ブロクサムって男が四日前の夜、ピンチャーズ・アレイの《ウサギと猟犬》店で、パフリートのボロ屋で仲間と珍しい埃まみれの仕事をしたって言ってんのを聞いたのさ。そんな仕事はそうそうないだろうから、サム・ブロクサムなら何か教えてくれるんじゃないかと思うね」
その男がどこにいるか教えてくれないかと尋ねた。もし住所を教えてもらえれば、もう半ソブリン分の価値があると伝えた。そこでスモレットは残りのお茶を飲み干すと、すぐに捜索を開始すると言って立ち上がった。彼は扉の前で立ち止まり、こう言った。
「いいかい、旦那、あんたをここに閉じ込めておいても意味がねえんよ。つまり、サムはすぐに見つかるかもしれねえし、見つからねえかもしれねえから。でも、どっちにしろ、奴さんは今夜、あんたに多くを話せる状態じゃねえだろうさ。サムは酒を飲み始めると途端におかしくなるから。切手を貼って住所を書いた封筒をくれたら、サムの居場所を探し出して今夜にでも投函するがね。でも、早起きしないとサムは見つけられねえかもしれねえな。サムは前の晩の酒を気にしねえで、早くから出かけるから」
これはすべて実利的なことだったので、子供たちの一人が一ペニーを持って封筒と紙を買いに行き、そのおつりを駄賃としてやることになった。彼女が戻ってくると、僕は封筒に宛名を書き、切手を貼って、スモレットが居場所を見つけたら投函することを再びしっかりと約束した後に、家路についた。とにかく軌道には乗った。今夜は疲れたので眠りたい。ミナはすでに寝ており、顔色も悪い。まるで泣いていたかのような目をしている。かわいそうに、何も知らされずにいるのは不安だろうし、僕や他の人たちのことが余計に気になるのだろう。でも、このままが一番いい。神経が参ってしまうより、今こうして失望したり心配したりする方がましなのだ。医師たちが、この恐ろしい仕事に彼女を関わらせないようにと主張したのは、まったく正しいことだった。沈黙という重荷を背負うことになるのだから、断固とした態度で臨まねばならない。どんなことがあっても、彼女とはこの話題に触れないようにしよう。実際、これは難しい仕事ではないかもしれない。というのも、ミナ自身がこの話題に消極的になっており、僕たちの決定を伝えて以来、伯爵やその行いについて話さなくなったからだ。
スワード博士の日記
十月一日
レンフィールドについて改めて困惑している。彼の気分は急速に変化するので、把握が難しいと感じている。また、彼の気分は常に彼自身の健康状態以上の何かを意味するため、興味深い研究対象以上のものとなっている。今朝、彼がヴァン・ヘルシングを退けた後に会いに行ったとき、彼の態度は、まるで運命を支配する男のようだった。彼は実際、彼の主観において、運命を支配していたのだ。彼は、地上の物事に無関心で、雲の中から、僕たち哀れな人間の弱さや欲望をすべて見下ろしていた。この機会を利用して何かを学ぼうと思い、彼に尋ねた。
「最近、ハエはどうですか」
彼はかなり優越的な感じで僕に微笑みながら──マルヴォリオのような微笑みだ──答えた。
「親愛なる先生、ハエには一つの顕著な特徴があります。その羽は、霊体の飛行力を表しています。古代の人々が魂を蝶に見立てたのは慧眼だったと言えましょう!」
彼の比喩を論理的な方向にできる限り導こうと思い、すかさずこう言った。
「ああ、今は魂を追い求めているんですね」
彼の狂気が理性をくじき、困惑した表情が彼の顔に広がった。めったに見たことのない断固とした態度で頭を振りながら、彼は言った。
「いや、いや! 魂はいらない。命だけでいいんです」ここで、表情が明るくなった。「私は今のところ、命についてかなり関心がないんです。人生うまくいっているし、欲しいものはすべて手に入れていますから。ゾウオファガスについて研究したいのなら、新しい患者を見つけなければなりませんよ、先生!」
この言葉に少し戸惑ったので、僕は彼を引き留めた。
「では、あなたは生命を司っているんでしょうか。自分が神だとでも?」
彼は、何とも言えない優越感に満ちた笑みを浮かべた。
「いいえ! 神の属性を自らに課すのは、私には縁遠いことです。私は、神には、特に神の霊的な行いには、関心がありませんから。私の知的立場を主張しましょう。私は、地上の事柄に関する限り、エノクが精神的に占めていた立場にいるのです!」
これは難解だった。エノクの特徴が今ひとつ思い出せなかったので、簡単な質問をする羽目になったが、そうすることで狂人の目から見た自分自身を貶めている気さえした。
「どうして、あなたがエノクと同じなんですか」
「エノクは神と共に歩んだからです」
僕はその比喩がわからなかったが、それを認めたくなかったので、彼が否定したことに立ち戻った。
「では、あなたは生命に関心がなく、魂も欲していないのですね。どうしてですか」
僕はこの質問を、素早く、やや厳しく、彼を狼狽させる目的で行った。その試みは報いられた。しばし、彼は無意識のうちに以前の卑屈な態度に戻り、僕の前に低く身をかがめ、媚びを売りながら答えたのだ。
「魂なんていりませんよ、本当に! いらないんです。持っていたとしても使えない、私にとって使いでのないものです。食べられないし──」
彼は突然言葉を止め、以前のような狡猾な表情が、風が水面を撫ぜるように、その顔に広がっていった。
「先生、生命なんて結局のところ何ということもありません。必要なものをすべて手に入れ、この先決して欲しないとわかっていれば、それで十分ではないでしょうか。私にも友がいます──良い友人です──スワード博士、あなたのようなね」これは言いようのない狡猾な表情を浮かべて言われた。「今後の私は、生命を得る手段を欠くことはないと、分かっているんです!」
狂気で曇った目ながら、僕の中に何らかの敵対心を認めたようだった。つまり、レンフィールドはすぐに、彼のような人間の最後の避難所に──つまり、執拗な沈黙に逃げたのだ。しばらくもせずに、今彼と話しても無駄だと悟った。彼が不機嫌だったので、立ち去った。
後日、彼に呼びつけられた。普段なら特別な理由がなければ行かないのだが、今の僕は、快く引き受けるほどに彼にとても興味があった。それに、何か暇つぶしになればうれしい。ハーカーは手がかりを追って出かけた。ゴダルミング卿とクインシーも同様だ。ヴァン・ヘルシングは僕の書斎でハーカーが作成した記録に目を通している。すべての詳細を正確に知ることによって、何か手がかりが得られると考えているようだ。ヴァン・ヘルシングは、理由もなく仕事の邪魔をされるのを嫌がる。彼を連れて患者に会いに行くこともできたが、前回のレンフィールドの拒絶からもう行きたくないかもしれないと思い直した。更にもう一つ理由がある。レンフィールドは第三者の前では、二人でいるときほど自由に話せない可能性があるのだ。
対面した時、レンフィールドは床の真ん中でスツールに座っていた。これは通常、彼が何らかの精神力を有していることを示す体勢だった。僕が中に入ると、彼はまるでその質問をするのを待っていたかのように、すぐにこう問いかけた。
「魂についてどう思いますか」
その時、推測が正しかったことが明らかになった。狂人であっても、無意識のうちに脳が働いていたのだ。僕はこの問題を解決することを決意した。
「あなたにとってはどうなんですか」と僕は尋ねた。
彼はしばらく返事をしなかったが、答えの糸口を見つけることを期待しているかのように、自分の周りをくまなく見回し、上下に目をやった。
「魂なんていりません!」
彼は弱々しく、言い訳がましく言った。この問題は、彼の心に食い込んでいるようだったので、それを利用しようと決心した──《人の為にのみ残酷さを行使せよ》。そこで僕は言った。
「あなたは生命が好きで、生命を欲しているのですね」
「そうです! でも生命については別にいいんです。あなたが心配する必要はありませんよ!」
「でも」と僕は尋ねた。「魂を手に入れることなく、どうやって命を手に入れるんですか」
この質問は彼を困惑させたようだったので、僕は続けた。
「何千ものハエやクモ、鳥や猫の魂があなたの周りを賑やかに飛び交う、楽しい時間が過ごせることでしょう。彼らの生命を得たということは、彼らの魂を我慢しなければならないんですよ!」
何かが彼の想像力に作用したようで、彼は指を耳に入れて、まるで小さな男の子が顔を洗われるときのように、目を固く閉じた。その姿はどこか哀れで、胸に迫るものがあった。その顔立ちは衰え、顎の無精ひげは白くなっていたものの、目の前にはほんの子供がいるようだった。この態度には学ぶべきこともあった。彼が心に何らかの変調をきたしていることは明らかだったし、以前から彼の気分が一見無縁な事柄たちを解明してきたことを知っていたので、できる限り彼の心に入り込み、共に経験しようと考えた。まず信頼を回復させることが大切なので、閉じた耳から聞こえるように、かなり大きな声で彼に尋ねた。
「ハエを捕まえるのに、砂糖はいりませんか」
彼は一気に目を覚ましたように、首を横に振った。そして笑いながら答えた。
「必要ないですね! 結局のところ、ハエなんてつまらないものです!」間を置いて、彼はこう付け加えた。「でも、あいつらの魂が私の周りを飛び回るのは嫌ですね」
「クモは?」僕は続けた。
「クモなんざ! クモをどうするっていうんですか。奴らが食べるものもないし──」
まるで禁断の話題を思い出したかのように、彼は突然言葉を止めた。
「さて、さて!」 僕は心の中でこう思った。「彼が《飲む》という単語を言い止めるのは、これで二度目だが、どういうことなのだろうか」
レンフィールドは、自分が過ちを犯したことを自覚しているようで、僕の注意をそらすかのように、先を急いだ。
「そういうのに興味はないんです。シェイクスピアに言わせれば、《ドブネズミやネズミなどの取るに足らない小物》【訳注:Rats and mice and such small deer】、つまり《食料庫の鶏の餌》とでもいうべきものです。そのたぐいの戯言はもうたくさんです。目前のご馳走を知っている私に、劣等な食肉へ関心を持たせようとするのは、箸で分子を食べるように頼むのと同じことですよ」
「なるほど」と僕は言った。「歯を噛み合わせられるような大きなものがいいんですね。象を朝食として食べるのはいかがかな」
「何をバカなことを言ってるんです!」
彼の意識がかなりはっきりしてきたので、強く迫ってみようと思った。
「ゾウの魂はどんなものだろう!」と僕は思案しながら言った。僕が望んだ効果は得られた。彼はすぐに高慢な態度をやめ、子供のような態度に戻ったのだ。
「象の魂なんていらない、どんな魂もいらない!」
彼はそう言った。しばらく彼は落ち込んで座っていたが、突然、目を輝かせながら、脳を興奮させた様子で立ち上がった。
「あなたもあなたの魂もくそくらえだ!」と彼は怒鳴った。「なぜ、魂のことで私を悩ませるんですか。魂のことを考えるまでもなく、心配事や苦痛や気が散ることがもう充分あるのに!」
彼はとても敵意のある表情をしていたので、また殺人を犯すのではないかと思い、僕は笛を吹いた。しかし、途端に彼は冷静になり、申し訳なさそうに言った。
「お許しください、先生。我を忘れていました。助けを呼ぶ必要はありません。悩んでいるので、ついつい苛立ってしまうんです。私が直面している問題、そして取り組んでいることを知りさえすれば、私を憐れみ、寛容になり、許してくれることでしょう。どうか拘束しないでください。考え事をしたいのですが、体が拘束されていると自由に考えることができません。きっとわかってくださるはずです!」
彼には明らかに自制心があった。世話人達が来たとき、僕は気にしないようにと言い、彼らは引き下がった。レンフィールドは彼らが去るのを見送り、扉が閉まると、かなりの威厳と優しさをもってこう言った。
「スワード博士、とても親切にしてくれましたね。とても感謝しています!」
彼をこの気分のままにしておくのが良いと思い、その場を後にした。この男の状態には、考えさせられるものがある。きちんと順序立てて整理しさえすれば、アメリカのインタビュアーが言うところの《報道》を構成するポイントがいくつかあるようだ。それを並べてみよう。
《飲む》ことについて触れない。
何かの《魂》を担わされることを恐れている。
将来《生命》を手にいれることに何の焦りもない。
下等な生命を全く軽蔑しているが、その魂に取り憑かれることは恐れている。
これらは全て、論理的に一つのことを示している! 彼には、自分がより高等な生命を獲得するというある種の保証があるのだ。彼はそれにより発生する魂の負担を恐れている。では、彼が求めているのは人間の生命なのだろう!
手に入る保証があるということは──?
ああ神よ! 伯爵は彼のところに来ており、新たな恐怖の計画が進行中なのだ!
その後。
回診後、ヴァン・ヘルシングの元に赴き、僕の疑いを報告した。彼はとても深刻な表情になり、しばらく考えた後、レンフィールドのところに連れて行ってほしいと頼んできた。僕はそうした。扉の前まで来ると、中の狂人が、今ではずいぶん昔のことのように思えるが、かつてそうしていたように、楽しげに歌っているのが聞こえた。中に入って驚いたのだが、彼は昔のように砂糖を広げていた。秋になって不活発になったハエが、部屋の中に羽音を立てて入り込み始めていた。僕たちは彼に先ほどの話をさせようとしたが、彼は応じようとしなかった。まるで僕たちがその場にいないかのように、歌い続けていた。彼は紙切れを持っており、それを手帳に折り込んでいた。僕たちは、入室時と同じぐらい無知なまま帰らねばならなかった。
彼は実に興味深い症例だ。今夜は彼を見守らなければならない。
手紙 ミッチェル・サンズ&キャンディよりゴダルミング卿宛
十月一日
閣下
閣下のご希望に沿うことが我々の喜びです。ハーカー氏より代理でお伝えいただいた閣下のご要望の事案、つまりピカデリー347番地の売買に関して、以下の情報を提供させていただきます。元の売り手は故アーチボルド・ウィンター=サフィールド氏の遺言執行者です。購入者は外国の貴族、ドゥ・ヴィル伯爵です。このような低俗な表現を使うことを閣下にはお許しいただきたいのですが、購入金を《現ナマ》で支払って自ら購入された方です。それ以上のことは何も存じ上げません。
閣下の謙虚な奉仕者
ミッチェル・サンズ&キャンディ